【 雨の香り 】

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ふと鼻をかすめた香りに、アイクは閉じていた目を開いて空に視線をやった。
見上げた先は晴天。
所々、灰色の雲が見受けられるが、いたって心地良い天気だ。
それなのに、アイクの眉間にはわずかばかりシワが寄る。

「降るか」

一人、誰に言うでもなく呟き、アイクは再び木にもたれて目を閉じる。
幼い待ち人は、まだ帰って来そうに無い。





「はい、お待たせ」
「ありがとうございます」

店主から差し出された紙袋を受け取り、リュカは一礼をして店を飛び出した。
思っていたよりも時間がかかってしまった。
外で退屈しているであろう待ち人の下へ、急いで走っていく。
待っていてくれと告げた木陰で、その人は木にもたれながら瞳を閉じて立っていた。

「アイクさん!」

声をかけると伏せられていたまぶたが開き、紺色の瞳がこちらを捉える。

「リュカ」

見慣れた人にしか分からないであろう、わずかな笑みを浮べ、アイクはリュカの名を呼んだ。
行こうか、とアイクに促され、その横に並びながらリュカは申し訳なさそうに苦笑する。

「すみません、待たせて……」
「かまわん。売り切れで焼き上がり待ちでもしていたんだろう?」

よく分かったなぁと思いながら、リュカは紙袋の中から焼きたてのパンを一つ取り出す。

「待たせたサービスだって。一つオマケをくれました」

食べましょう、とリュカはその一つを割り、片方をアイクに差し出した。

「クルミパンです、食べられますか?」
「よほどのゲテモノでなければ何でも食える」

言ってそれを受け取り、頬張ってみる。
口の中に広がる焼きたての香りに、待った甲斐もあるなと思った。
ふと横に目をやると、大きめの紙袋を抱えたままパンを齧ろうとするリュカの姿が。

「リュカ」

名を呼ばれ、その方を見上げると片手を差し出しているアイクの姿。
なんだろうと首をかしげると、何かを渡せという風にひらひらと手を動いた。
半分のパンじゃ足りなかったのだろうかとも思ったが、いくら食の太いアイクでもリュカのものを寄越せなどと言う事は無い。
そういう、優しい人だ。
やっぱり分からなくて首をかしげていると、手が紙袋を掴んだ。
あ、と思い紙袋を抱えていた両手の力を抜くと、それがひょいと持ち上げられ、アイクの腕に収まる。

「言ってくれれば…」
「言ったら『平気です』って答えるからな」
「う、それは……」

そう言われればそうかもしれない。
図星だと思いながら、リュカは素直に「ありがとう」と礼を言い、開いた手でパンを頬張る。
焼きたてなだけあって、その味はまた格別だ。
美味しさに顔が緩み、コロコロと変わるリュカの表情をアイクは黙って見つめていた。
無愛想だといわれる自分と違い、リュカは感情表現が豊かだ。
隠そうと努力しているのにそれが出来ていなかったりと、見ていて飽きない。
以前にそう告げてみたら、ぼくの顔が可笑しいのか、と妙な誤解をされたこともあったが。
なんというか、目が離せなくなるというのか。
今となってはなぜそう思うのか、分かっているから別段不思議にも思わないが。
そんなことをぼーっと考えていたら、一人のときに香ったあの匂いがまた鼻を掠めた。
しかもさっきよりも濃い色合いで。
ふと足を止め、空を見上たアイクに釣られ、リュカもゆっくりと顔を上げる。
さっきよりも雲が多くなってるように見えるが、青い空はまだ見えるし、別段変な様子はないと思うのだが。

「どうかしたんですか?」
「降る」
「へ?」
「雨だ。降るぞ」
「え、だってまだ隙間には青空が……」

一度アイクを見やり、そして再び空に顔を向けたとき。
鼻先に、冷たいものが落ちてきた。

「来た」
「ほ、ホントだ……」
「一時だろうが本降りになるな」
「どうして分かるんですか?」
「ん、匂い」
「匂い?」

鼻を指差すアイクに、何の匂いで判断するのかとリュカは首をかしげるばかりだ。
そんな彼の様子なんぞお構い無しに、アイクは持っていた紙袋をリュカに渡し返し、自らが羽織っていたマントを外す。
アイクの言葉と突然の行動に、リュカは自分が何をすればいいか分からずにそのまま立ちすくんでしまう。
雨は徐々にだが、確かに強くなって来ている。
と、ふいに赤いマントが身体を包むようにかぶさってきた。

「うわっぷ……なんですか、急、にぃっわ!?」
「パン、落すなよ」

言われ、慌てて紙袋の口を閉じるリュカ。
気がつけばアイクのマントに身体を包まれ、その肩に抱き上げられてるではないか。

「な、何を!?」
「このまま走ってハルバードまで戻る」
「えぇ!! でもアイクさんが濡れちゃ…」
「俺は丈夫だ。行くぞ」
「え、うっわ、うわあ!」
「あぁ、パン濡らすなよ? 食えなくなる」
「そう言う問題じゃないと思いますけどっ?」

そんなこと言ってる場合かとリュカは思いながらも、揺れる肩でバランスを取りながら紙袋を抱きしめる。
雨は、灰色の雲が青空を埋め尽くしていくのに比例してドンドンと強くなっていき――

町の外れに泊めてあったハルバードに戻る頃には、雨はまるで滝のように空から降り注いでいた。




+ + + + +




「やぁ、ずぶ濡れになってまでご苦労様」

完全に呆れた様子でアイクとリュカを出迎えたのは、大きなタオルを手にしたマルスだった。
髪の毛の先からポタポタと雫をこぼすアイクとは対照的に、リュカと腕の中のパンはアイクのマントに保護されていて無事だったようだ。

「パンは死守したぞ」
「パンとリュカくんね。まったく……ハイ、タオル」
「マルスにしては用意がいいな」
「外から戻ってくるキミを卿が発見したからね。タオル届けてやれって頼まれたの。ってか『マルスにしては』ってどゆこと?」
「すまん、口が滑った」
「全然フォローになってないけど? まぁいいや、風邪引いてリュカくんに心配かけたりしたらダメだよ?」
「む……」

ちょっと気がかりな部分をつつかれたか、言葉を詰まらせたアイクの肩を叩き、マルスはリュカからパンを受け取って「じゃあね」とその場を後にした。

「あの、本当に大丈夫ですか?」
「ん? あぁ、平気だ」

マントを握り締めながら見上げて聞くリュカに、アイクはタオルで頭を乱暴に拭いながら答えた。
自分を包んでいたマントの濡れ具合とアイクの様子から、相当な雨に打たれているはずだ。

「早く部屋に行きましょう! 着替えもしなきゃ……」
「ん、そうだな」

濡れた服の裾を掴むリュカに促され、アイクは引っ張られるようにして部屋へと足を向けた。
部屋までの間、リュカは何度も心配そうにアイクを見上げる。
こっちの心情とは裏腹に、本当に何事も無さ気なアイクの様子にリュカは少し複雑な気持ちになった。
歳や体付きの関係上、どう足掻いても守られる場合が多い自分が少し歯がゆかった。
アイクの部屋のドアを開け、中に彼を入れさせてからドアを閉め。

「あ、お風呂入って身体暖めますか?」
「そうだな、頼んで良いか?」
「はい!」

少しでも頼ってもらえる状況に、リュカは笑顔で頷いてバスルームへと急ぐ。
蛇口を捻り、お湯が出ているのを確認してその場を後にして部屋に戻ると、上着を脱いで上半身裸になっていたアイクが目に飛び込んできた。

「あっ、わっ、すみません!」

その姿に一瞬にして頭が真っ白になり、思わず背をむけてしまったリュカに、アイクはタオルを肩にかけ直して声をかけた。

「どうした?」
「いえ、別に、あの……」
「見慣れてるだろう?」
「なっ!? な、なぁ、なな何を言って!!」

背を向けたまま叫ぶリュカに、アイクはやれやれと大きく息を吐いてその背後に近づいていく。
ひょいと顔を覗き込むと、顔を真っ赤にして目をキツク閉じている表情が飛び込んできた。
自分達の関係からなら別に慌てるような状況ではないのだが、この少年は酷く真っ直ぐで純粋だ。

可愛いなと思ってしまう自分は、そうとうこの少年に当てられているのだろうか。

「どうした?」

わざと耳元で囁くと、ビクリとリュカの肩が震える。

「な、なんでもないですっ!!」
「そうか?」

ちょっと煽ってみようか、などとイタズラ心が働いたというのか。
相変わらず目を閉じたままの少年を後ろから抱きしめてみる。

「あ、あああ、あの……アイク、さん……?」
「ん? なんだ?」
「な、なんですか?」
「別に。お前が後ろを向いていてこっちを見ないから」

面白いように慌てるリュカに、アイクは笑いをこらえながら答えていく。
少年は腕の中から逃れようと思っているのか、腕に少しばかり力が入っている。
もちろん、純粋な体力勝負となればアイクが負けるわけがないのだが。

「あ、あの、あの……そう、そうだ!」
「ん? なんだ?」

思い出した!とばかりにリュカは勢い良く腕を振り解き、アイクと向き合う。
寂しくなった腕を残念に思いながら、アイクは先を促す。

「雨が降るってわかったの、匂いだって言ってましたよね?」
「ん? あぁ、そうだ」
「匂いって、どんな匂いなんですか?」

すっかり興味がそれに移ったのだろう、裸のアイクを前にしてもリュカの表情は普段のそれに戻っていた。
残念度が増したな、と思いながらも、アイクもしっかりとその質問に答える。

「雨が降る前によく感じるんだ。これだ、という表現はし難いが……そうだな、地面が濡れる匂い、か?」
「地面が、濡れる?」
「あえて表現するならそうなると思う」
「へぇ〜……」

本当に感心しているのだろう、キラキラと顔を輝かせ、リュカは今だ雨の降り続く空が見える窓に歩み寄る。

「雨の匂い、かぁ……ぼくはわからないなぁ」
「大抵の奴にそういわれる。鼻が可笑しいのかといわれたこともあるな」
「あはは。でも、うらやましいです。ぼくも知りたいな、その香り」
「そうか?」
「はい。あ、でも雨ならたまに鳥さんとかが教えてくれることもあるかな」
「鳥……そうか、言葉が分かるんだよな」
「はい」

リュカには『PSI』という特殊な力がある。
それにはどうやらテレパシーと言う、言葉を介さずとも会話が出来る力もあるらしく、リュカや同じ力を持つネスが動物やポケモンたちと平然と会話しているのは良く見かける。
その姿に、故郷の白い羽を持つ者達を思い出したのは記憶に新しい。

「晴れるかなぁ」
「一時的だろう、見てみろ」

不安げなリュカの後ろに立ち、アイクは灰色の雲の果てを指差した。
暗い空のずっと遠くに、僅かながらに差し込んでいるの太陽の光。

「あ、明るい……」
「雲の流れも早い。時期に晴れる」

言ってリュカの頭に手を乗せて、軽く撫でる。

「晴れたらまた外に行くか?」
「え、いいんですか?」
「パン以外に見たいものがあると言ってたろう。付き合う」

それを聞いたリュカの表情が、見る間に明るいものへと変わってゆく。
あまりの変化に、アイクが少し呆けているのにも気付かず、リュカは満面の笑顔を見せて言う。

「やった! ありがとうございます、アイクさん!」

とても、とても嬉しそうにリュカは言った。

(まいったな……)

それを見て心の底から可愛いなと、愛しいと思ってしまう自分に、アイクは当てられすぎだろうかと苦笑するしかなかった。

「じゃあ、風呂に入る」
「あ、じゃあ待ってていいですか?」
「何も無い、つまらん部屋だぞ」
「大丈夫です。ぼくはココが好きですから」

ニコニコと嬉しさを隠せない様子のリュカに、アイクも口元を緩めてバスルームへと消えた。


外にはまだ、雨の音が響いている。
晴れるにはもう少しだけ、時間がかかりそうだ。






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ちょっちコメント。アイリュカの場合(追加でマルネス)。アイクとマルスは悪友みたいなのが個人的に好みだったり。
なのでこの話に置いても悪態つきまくりです、互いに(笑)




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