【 Amor vincit omnia 】

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どうして自分がこんな事になってしまっているのだろうか。
尽きない自問自答を繰り返しながら、リュカは月が照らす廊下を一人歩いていた。
いやに渇きを訴える喉を指先でなぞり、何度ついたとも分からないため息を漏らす。
ここ数日でため息の数は激増だ。
原因はただ一つ。

「いつになったら治ってくれるんだろう……」

そうポツリとつぶやくリュカの唇の合間から覗いたのは、鋭利に伸びた白い歯。
舌先がなぞるそれは、もはや「牙」を呼ぶのがふさわしいかもしれない。
もちろん、元来普通の人間であるリュカにはありえないもののはずなのだが。

「ぼく、どうしたらいいの……」

誰も居ない廊下、ふと足を止めたのは想い人の部屋の前。
彼とはここ数日、顔も合わせていないし会話もしていない。
それは自らが彼を避けているから当然である。

だって、会ってしまえば――

逢瀬の瞬間を思い出し、リュカはこくりと喉を鳴らす。

「……アイクさん」

誰も居ない廊下、リュカは一人自らの身体を抱きしめる。
ポツリとその想い人の名をつぶやき、そして数日前からの出来事を思い起こした。
その日も、何の変哲もない朝だったはずだ。
一体何が原因でこんなことになってしまっているのか。
その答えは、リュカ本人にさえ未だに掴めていないのだった。


+ + + + +


「ネスー! リュカー! 朝だよ起きろー!!」

ドンドンとけたたましい音と呼びかけるトゥーンリンクの声。
いつも寝起きが悪いネスとリュカを目覚めさせる、毎朝の目覚まし代わりの日課。
今日も今日とて、元気一杯に――半分トゥーンリンクが騒ぐのを面白がっている節はあるが――ドアから響く騒音に、二人は同時に身じろぎを始めて、同時にゆっくりとシーツから顔を覗かせた。

「……あさ?」
「みたいだね……ふ、ぁ……」

まだまだ起きたというには不十分なネスの欠伸を見て、リュカも寝ぼけ眼のままベッドから下りて窓のカーテンを開け放つ。
隙間から零れていた朝日が広がり、睡魔が漂っていた室内を一気に目覚めへと変えていく。
そんな朝日を眩しそうに見上げ、そして振り返ってリュカもまた欠伸をしながら目を擦った。

「二人ともー!! 起きたのー!?」

と、いまだにドアを叩いているトゥーンリンクにリュカは苦笑して、

「リンクはいいなぁ。リンクさんが一緒だから起こしてもらえて、ね?」

そう言って同意を得ようとネスを見やり、首を傾げた。

「ネス?」

こちらを見たまま、なぜか驚いた様子で固まっているネスがそこにいたのだ。
目は大きく見開かれていて、眠気が完全に飛んでしまっているのが良く分かる。

「……一体どうしたの?」

あまりの不思議さにそう聞くと、ネスはリュカの顔から視線を逸らさずに続ける。

「それは、ぼくの台詞……」
「え?」

何がだろうとさらに首を傾げると、ネスは力なく半開きになった自らの口を指差して言った。

「どうしたの、それ……」
「それ、って?」
「歯だよ、歯……あぁ、もう! あーってして!」
「え? あ、ネス……?」

なにやらシビレを切らしたか、そう言ってベッドサイドから何かを取り出すネス。
わけも分からず、とりあえず言われたとおりに「あー」と口を開けたリュカの前にネスが差し出したのは、折りたたみ式の鏡。
驚いたまま鏡を突き出すネスを不思議に思いながら、リュカはそこに口を開けたままの自分の顔を写し込んだ。
一体何に驚いているのやら、そういえば「歯」とか言っていたような。
そんなことを考え、自分の口に視線をやって。
そして、リュカも固まった。

「え……な、な……」

唇の切れ間から覗く、白く鋭利な「歯」。
いや、「歯」というよりは「牙」と言った方が正しいだろうか。

「……な、何これ……」

明らかに昨日までの自分とは違う異質が、確かにそこにあったのだった。


* * * * *


何の前触れも無く訪れたリュカの異変に、マスターハンドまで含んだ乱闘参加者全員が驚いた。
唇を閉じていても尚、僅かに覗く『牙』は、人間であるはずのリュカには明らかに不釣合いなものであるし、何より元々そんな状態だったわけでもない。
誰かが「マスターハンドが変なものでも飲ませたのでは」などと言ったが、マスターハンド本人がそれを否定してしまう。
「実験するならみんなにするよ」というあまり喜ばしくも無い事を告げた後、マスターハンドは「原因を調べてみるよ」と掻き消えるように姿を消していった。
さて一体この状態や変化はなんなんだろうと全員が首をかしげるなか、リュカは自身の変化に動揺してしまっているのか、ソファに座るアイクの横で膝を抱えて意気消沈していた。

「どうして、こんなことに……」

ポソリと呟き、膝に顔を埋めるリュカにどう声をかけていいのか。
アイクは困ったように少し眉間に皺を寄せ、その身体を抱き寄せるしか出来なかった。
全員がどうしたもんだろうか、原因はなんだろうかと臆測を語り合う中、トレーナーの少年がリュカの所に歩み寄る。

「ねぇ、リュカ。身体はなんの変化もないの?」
「身体、ですか……?」

わずかに顔を上げて聞き返すリュカに、トレーナーの少年は頷いた。

「例えば、日に当たると苦しいとかは?」
「……いいえ」
「じゃあ十字架が恐い、とかは?」
「多分、平気です……」
「それじゃあ、さ……」
「おいおい、トレーナーの坊主」

そう声をかけて立て続けに問い掛けるトレーナーを制したのはスネークだった。
咥えたままの煙草から煙を吐き出し、肩をすくませながら彼は言う。

「その質問を考えると、まるで『吸血鬼なんじゃねぇか』とか考えてないか?」
「まぁ、牙っていうとそれが妥当かなぁ、って」
「……え?」
「きゅうけつ、き?」

初めて聞いた単語なのだろう、首を傾げるアイクとリュカにトレーナーの少年が説明を始める。

「吸血鬼というのは、実在するかは説によりけりだろうけど……まぁオバケとか妖怪の類に近いかな」
「お、オバケ……?」
「そう、人の血を吸う妖怪、みたいな」
「ひ、人の血を……!?」
「うん、そう」

あっさりと言い切る少年に、リュカは酷く動揺を表して身を乗り出した。
だって自分はそんなこと、ちっとも考えてもいないし思ってもいないし。
何より「血を飲みたい」だなんて感じもしないのに。

「ぼく、ぼくそんなこと……!!」
「分かってる分かってる。何もないんだろうなというのは良く分かったから、ごめんね」

さすがにちょっと突然過ぎたか、と少年は涙目になるリュカの頭をゆっくりと撫でる。

「リュカをオバケ扱いするみたいになっちゃったね、ごめん」
「い、いいえ……大丈夫です……」

もし、トレーナーの言う問いに一つでも「はい」と答えていたなら、その『吸血鬼』というのになってしまっているということだろう。
自分が人ではなくなるなど考えたくもないが、状態が分かれば打開策が見つかるかもしれない。
そう思っての質問だろうというのは、リュカにも多少なり理解できた。

「でもさー、今の所はトレーナーに言われたのも大丈夫なんでしょ?」

少しばかり暗くなってしまった空気を、トゥーンリンクがそんなのどこ吹く風だとばかりに明るく口を開く。
問いかけにコクリと頷き、問題ないと返すとトゥーンリンクはニコリと笑った。

「じゃあまだ変になってないってことじゃん。もしかしたら変にならないかもしれないし」
「リンク……」
「それに、変わったとしてもリュカはリュカだよ。オイラの友達! だから元気出しなよ、ね!」

明るく言い切るトゥーンリンクを見つめ、リュカはゆっくりと悲壮に塗れていた表情を笑顔に変えていく。

「ぼくは、ぼく?」
「うん、そう! それにもし血が欲しくなったらオイラのあげるよ」
「い、いいよ! ならないようになって欲しいし」
「そっか。じゃあ、元気出た?」
「……うん!」

まだ自分がどうなってしまうのかという不安はあった。
けれども、自分が変わっても無くすものはないと感じ取ったリュカは笑顔で頷く。
そんなリュカに手を差し出し、トゥーンリンクは「外行って遊ぼうよ」と促した。
横にいたネスにも声をかけ、三人はあっという間に普段通りの空気をまとって部屋を駆け出していく。
「行ってきます」と振り返るリュカに、アイクは僅かな微笑を見せて手を振り返す。
唇の隙間から覗く牙は確かにそこにあったが、トゥーンリンクの言う通り、リュカがリュカであるのは確かだった。

「……無垢は武器か。正直、あの子の明るさに助けられたね」
「あぁ」
「とりあえずは現状維持、かな?」

トゥーンの言葉で安心感に包まれた室内。
マルスも安堵の息を吐き出しながらアイクに言葉をかける。

「どうしようかと思ったけど、どうしようもないのも確かだし。リュカくんを不安がらせないのが一番か」
「それが得策だろう」

腕を組み、天上を仰ぎながらアイクもまたゆっくりと息を吐き出した。

「何もなければいいがな……」

そう。
このまま何事も無く、とりあえずリュカが不安になるようなことさえ起きないでくれれば良い。
一番はさっさとあの牙が治ってくれれば良いのだが。
アイクは、何よりリュカが心労を溜めなければいいと、それだけを気がかりにしていた。


* * * * *


それから数日は普段と変わらぬ日々が過ぎた。
少しばかり牙に違和感を覚えたけれども、慣れというのは恐ろしいというか、その内それが当たり前のようにさえなりかけていく。
事情故に牙が出来た事を気味悪がる者もおらず、たまに「早く治るといいね」という声はかかるものの、手立てが無いおかげで誰もが特別な行動を取る事が出来ず。

リュカも、自身の変化が見た目の牙以外には何も現れないまま幾日か経過したために、警戒心が薄れていたのかもしれない――

「……っぷはー。遊んだ後に飲むジュースは美味しいね」

大きなグラスに入ったジュースをごくりと飲み、トゥーンリンクは袖で口を拭いながら言う。
同じようにジュースを飲んでいたネスも「そうだね」と頷いて笑顔を見せる。
リュカはといえば、グラスの中のジュースを一気に飲み干したのか、すでに二杯目を注いでいるところだった。

「リュカってば、飲むの早いねー」

なんてことはないトゥーンリンクの問いかけに、リュカは首をかしげながらもグラスに口をつけた。
トゥーンリンクやネスのグラスにはまだ半分ぐらいの量が残っていたから、そう思うのも不思議ではなかったかもしれない。

「そうかな? 二人は喉乾いてないの?」
「乾いてるけど、このグラス大きいし。一気はできないや」

「ねー」と顔を見合わせる二人をどう疑問に思うでもなく、「そっか」とそう簡単に片付けてリュカは二杯目も一気に飲み干す。

「なんだか最近、すぐ喉渇いちゃって。ちょっと違和感もあるし……」
「喉に? 風邪じゃない? 薬飲んでおきなよ」 
「薬かぁ……うーん、考えておく」
「苦いから飲まないのはダメだよ! ぼくが夜に飲むかどうか確かめるからね」
「えぇ! ネスってば酷いよ」

牙が生えてから数日目の会話。
笑い合うための材料だったはずの些細な話題。
それを「変化」だと気付いていたら、もっと何か対策が取れたのだろうか。
いや、気付いても手立ては無かったのかもしれない。
今になって考えたとしても、もはや足止めにも何にもならない。
その変化が、「些細」なものから「明確」に変わったのはそれから間もなくだった。
ある日の、普段通りの昼間。
これから乱闘のあるアイクとリンクとマルスを、その乱闘を見るために観覧席に向かうリュカとトゥーンリンクとネスが廊下で見つけた時だ。

「あ、アイクさん!」

人影が見えるや否や、リュカ達がアイク達の傍へと駆け寄っていく。
剣士の三人組も呼び声に気付き、足を止めてそれに答える。

「あぁ、リュカか」
「これからですよね、頑張ってください!」

笑いかけるリュカに頷き、その頭を撫でようとアイクが手を伸ばす。
無骨ながらゆっくりとした優しい手付きに、いつもの心地良さを覚え――
ふとそこで、普段とは違うものを感じ取った。

「……あの、アイクさん?」

微かながら鼻をくすぐる、酷く甘い香り。
そんなものが確かにアイクの方から感じられたのだ。
だから特に深くも考えず、気になったから問い掛けてみた。
彼の人間性を考えれば、絶対に答えは決まっているであろう問いかけだったのに。
先を促すように首を傾げるにアイクに続きを告げる。

「香水か何か、つけてますか?」

その問いに、思った通りにアイクは驚いて目を見開いた。

「香水? 俺が?」
「はい……」
「……つけるように思えるか?」

やはりそうだろうな、という答えに、リュカは「そうですよね」と答えて苦笑いをした。
分かってはいたのだ。
この人がそのようなものをつけるなんて有り得ない、と。
もしかしたら、香りの原因はどこかの花かもしれない。
だってこんなに僅かにしか香らないのだから。
そんな風に自分を納得させて、リュカは他の二人と同じようにアイクを見送っていった。
僅かな香りだったから、その時は深くは考えなかった。
ただの気のせいだと、そう思っていたのに。

それはあっさりと、その翌日に打ち砕かれた。

リュカもアイクも乱闘のないその日、普段通りに二人は傍に寄り添って大広間で時を過ごしていた。
大広間の傍ら、姫君たちは楽しそうに談笑し、その足元ではピカチュウやゼニガメ達ポケモンがじゃれあっていて。
なんて事は無い日常。
ソファに座り、剣を弄るアイクの向かい側で本を読むリュカは、この当たり前の日々には異質な違和感を覚えていた。
昨日感じた甘いあの香りを再び感じていたからだ。
それも昨日と同じく、やはりアイクからである。

(どうして甘い匂いがするんだろう)

香りは昨日と同じであったが、少しの変化があった。
その甘さが、昨日より一段強くなっているのだ。
飲んだことは無いが、嗅いだだけでもくらくらするような強いアルコールのような、甘ったるいシロップのような。

些細な香りだったものが、纏わりつくように誘惑する酷く甘いものに変わっている――

「…………あのぉ」
「ん、どうした?」

違和感を拭いきれず、顔を隠すかのように本を立てて口元を隠しながら問うリュカに、アイクは剣に向けていた視線をリュカに移した。
もごもごと言い難そうな様子のリュカを見て急かしてはまずいと、アイクは一度リュカに向けた視線をすぐに剣に戻す。
その瞬間に、問いかけは来た。

「分かってて聞きますが、香水……つけてませんよ、ね?」

ぴたりとアイクの手が止まった。

「昨日も聞かれたな、それ」
「すみません……」

ションボリするリュカに「気にするな」と言い、アイクは剣を傍らに置いた。

「何か匂いでもするのか?」
「え?」
「俺。何か匂うのか? だから『香水』とか聞くんだろう?」
「そうなんですけど……本当に何もつけてないんですよね?」
「あぁ、残念だが」
「そう、ですよね。ぼくが変なのかなぁ、こんなにとても……」

(とても甘くて、美味しそうな香りがするのに)

「…………え?」
「ん、どうした?」
「あ、いえ……気のせいみたいです……」

ポソリと呟き、リュカは本へと視線を落とす。
自分が思ったことを、理解できなかった。

(美味しそう?)

何が?

(アイクさん、が……?)

その考えにドクリと心臓が鳴った。
動揺と焦る思考のせいで、本の文字が追えなくなっていく。

(美味しそうって……ぼくがアイクさんを、美味しそうって……?)

頭の中が混乱したまま、リュカはそっとアイクの方へとそっと視線だけを動かす。
アイクはこちらを見てはいなかった。
おそらく発言が曖昧なのは気にしているのかもしれないが、言いたくない事を無理やり追求するつもりがないのだ。
それが今のリュカにはありがたかった。
とても言えと言われても吐けるような心境ではないだろう。

人を、美味しそうだと思うだなんて――

剣の手入れが終わったのか、アイクはテーブルの上に広げられている雑誌を読んでいる。
「本」を読むことは少ないようだが、意外にもこうして様々な世界から集められた「冊子」のようなものは好んで見るらしい。
純粋な好奇心からか、色々載ってるから見ていて面白いというのが彼の弁。
肘を膝に乗せ、少し前かがみになって雑誌を見ているアイクを気付かれないように伺う。
少しうつむき加減の顔に、紙面を追っているのだろう、しきりに動く青い瞳。
今日は乱闘もないからか、普段つけているマントも防具もなく、ラフな服装だ。
僅かに寛げられている襟元からは綺麗に浮き上がった鎖骨が覗いて見える。
傭兵らしく、普段から鍛錬を欠かさない彼の身体はリュカからすればとても頼もしく、また惹きつけられる要因の一つだ。
その肌が見えた瞬間にごくりと喉が鳴る。
甘い香りが、一段と強くなったように思えた。

(あぁ、舐めたいなぁ)

ハタと、自分が何を考えているか理解出来ずに背筋が冷たくなった。
香りに誘われるがまま、思考がおかしくなっていく自分がいる。
頭がどうにかなってしまったのだろうか。
イヤに乾く喉をさすり、ふと唇に感じる違和感を思い出した。

(まさか……牙のせい、とか?)

まさかこんな何日も経ってからこんな変化が現れるなんて。
いや、もしかしたら違うかもしれない、気のせいかもしれない。
そう思いたくて、リュカはその日一日、変化を誰にも告げずにアイクの傍に寄り添った。
けれども、アイクから漂ってくる酷く甘い香りは一向に収まってはくれなかった。
夜になり、こっそりとマスターハンドの所に行って原因や治す方法が見つかったか聞いてみたが、返事は芳しいものではなく。
「体調がおかしくなったのかい?」と聞かれたが、詳しく話すつもりにもなれず。
リュカは小さく首を左右に振り、答えも言わずにその場を後にした。
部屋に戻り、隣で静かに眠る友人を横目にベッドの中へと深く潜り込み、身体を抱きしめる。
おそらく、明日目が覚めた所でこの症状は良くなってなどいないだろう。
たった一日で自覚できるほどの変化が現れているのだ、進行もおそらく、早い。
このまま今まで通りアイクの横で過ごしていたら、彼に一体何をしでかしてしまうかわからない。
何より自分がどうにかなってしまいそうだった。
あのくらくらする甘い香りに耐えていけるかどうか、リュカには自信が持てなかった。

(会っちゃダメだ……離れなきゃ……)

こんな行動を取れば、きっとアイクに何かしら察知はされるだろう。
彼は自分にとても暖かい優しさを向けてくれる。
避けることによって、アイクは自分の異常に気付くはずだ。
そして普段以上に近づいてくる可能性が無いともいえない。
けれども、自分がアイクに何かしてしまうのを――最悪、傷つけてしまう事を――リュカは恐れていた。
全部治ったら説明しよう、きっと分かってくれる。
そう考え、リュカは早く眠りが訪れるようにキツく目を閉じた。

――次の日の朝、やはり牙は無くなっていなかったけれど。

その日から、リュカはなるべくアイクが視界に入ることがないよう、鉢合わせないように行動した。
一人の時はなるべく部屋にいるようにし、移動も必要最低限で済ませられるように気をつけた。
あの香りさえ嗅がなければ、多少喉の渇きがあるだけで他の異常は何も出てこなかった。
ネスと部屋にいても、マルスやリンクと会っても、アイクから感じるあの甘い香りはしなかったからだ。
ただ、その分偶然彼を目にしてしまった時に感じる香りは、日を追うごとにどんどん強くなっていく一方だった。
廊下の先を歩くアイクの姿を見ただけで眩暈がするほどの香りに襲われ、あの押さえ切れない衝動が溢れてくるのだ。

あぁ、このまま彼に駆け寄り、胸元を開いて首筋に舌を這わせて――

湧き上がってる欲動を振り払うかのように、リュカはブンブンと頭を振り、その姿を見ないようにと背を向けた。
そうして壁にもたれかかり、足音が遠のいてくれるのをひたすらに待った。
だからリュカは気がつけなかった。
壁に身体を預けて自らに背を向けるリュカの姿を、振り返りながら見つめるアイクに。
そしてその表情が、リュカへの心配と苦悩で少しばかり険しくなっているのにも。

「リュカ……」

聞こえないほど小さく名を呟き、そしてアイクはリュカから視線を外して廊下を歩いていく。
リュカが自分を避けているのはなんとなく分かった。
それが何かしら身体に異常を来たしているせいであるという事と、それに自分を巻き込まないためであろうと言う事も。
予想は容易い。
リュカは優しいから。
そして何よりも、自分のせいで他人が傷つく事を非常に恐れている。
だから、アイクもなるべくリュカを探したりしないようにしていたのだ。
それでも限界はある。
いくらリュカがアイクを傷つけたくないからとは言っても、アイクからすればリュカの苦しむ姿を見てるほうが辛いのだ。
それに、今は自分を避けていれば済む話ではあるが、もしそうでなくなったとしたら。
これ以上リュカの様子が悪化しないとは言い切れない。
廊下を歩きながら、何とはなしに後ろを振り返る。
視線の先にはこちらに背を向けて反対方向へ歩いていくリュカの姿があった。
どことなく疲れて見えるのは、おそらく気のせいではないだろう。
ネスに様子を伺うと、どうやら喉の渇きがあるらしく夜に起きてしまう事があるらしい。
それ以外にも、この現状への不安も疲労に拍車をかけているに違いない。
ただでさえ、誰にも迷惑をかけないように一人で背負い込んでしまう性格なのだ。

「なんとか出来ればいいが……」

リュカがアイクを避けている詳しい理由は、ネス達も教えてもらっていないらしい。
とにかく、傍に居る事で迷惑をかけるから、と必死だったそうな。
詳しい事が聞ければ、何か解決策が出るかもしれない。
リュカには酷かもしれないが、このまま話すことも触れ合う事もままならないのはアイクには耐え難かった。
何より、一人で悩ませているという歯がゆさもあった。

『なんかね、喉が渇いて夜に目が覚めちゃうんだって。一人で食堂いって何か飲んだりもしてるみたい』

「夜か……」

夜遅くなら、誰の視線も気にせずにリュカと話が出来るかもしれない。
ネスの言葉を思い出し、アイクは今日にでも話が出来ないか思案していた。



* * * * *


喉が渇く。
ここ数日で酷くなってきた渇きのせいでリュカはすっかり眠りが浅くなり、すぐに目が覚めるクセがついてしまっていた。
手で目を擦り、ベッドから静かに起き上がってドアをあけて食堂を目指して暗い廊下を歩いていく。
喉の渇きは乾燥からくるようなものではなかった。
痛みも無く、ただとにかく何かを飲みたくなってしまうのだ。
水よりも、味が付いてる物の方がその渇きが癒えるように感じて、こうして時折部屋を出て行く。
それ以外に、完全に一人になりたいと言うのも理由の一つでもあった。
誰もいない食堂で、夜空を眺めてボーっとしている時間がある意味で安寧の時だった。

しかし、その食堂に向かう廊下の途中にはあの人の部屋がある――


+ + + + +



アイクの部屋の前で足を止めていたリュカは、ふぅと小さくため息を吐き出した。
ここでこうして悩むのも何度目だろうか。
小さく頭を振り、早く喉を渇きを潤そうと顔を上げた瞬間だった。

「リュカ」

背後から、名を呼ぶ声がした。
それはここ数日、自分が避けてしまっていたがために聞くことが出来なかった、大好きな人の声。

「ア……アイクさ……」

あまりに意識が散漫としていたのか、こんなすぐ後ろに来られて声をかけられるまで気付けなかったなんて。
慌てて振り返った先には、本当にアイクがいた。
そして彼が当人であると分かった瞬間、あの甘い香りが一気にリュカを包み込んでくる。
寝る予定だったのかどうかは分からないが、上衣はいつもの青い服だけで胸元が見えそうなほど寛げられている。
月明かりでうっすらと視界に浮かぶ肌を目にした瞬間、香りがより強まった気がした。

(ダメだ……くらくらする……)

嫌なものではない、けれども余りに色濃く、そして煽るようなその強い香りに、リュカは身体を硬直させた。
それは驚きや恐怖からくるものではなかった。

(あぁ……甘い匂い……)

何度も気をおかしくさせかけた香りに誘われ、リュカは動けなくなっていたのだ。
否、動けなくなったではなく、『動こうとしなかった』という方が正しいのかもしれない。

「リュカ……」
「こ、来ないで……来ないで下さい!」

名を呼び、一歩近づくアイクにリュカは慌てて声を上げた。
近づかれ、甘い香りが強くなるほどに頭の中の声が大きくなっていく。

(ねぇ、ほら。とても甘くて美味しそうな香り……)
「こない、来ないで……お願いだから……」

頭の中で響く声と動かない身体。
目眩でぐらぐらする意識の中、リュカは必死に自我にしがみついて理性を保とうとした。
壁に額を押し付け、視線を反らし目も閉じてアイクを視界から追い出す。
このまま彼が部屋に戻ってくれれば甘い香りも消えるはずだ。

「お願い……近づかないで、ほっといて……」

弱々しい声だと思った。
段々、拒絶を口にするのが億劫にすらなってくる。
意識さえもが頭の声に、香りに、負けそうだった。

(どうして行かせるの? そのまま、ほら、あの首筋に顔を寄せるんだ)
「やめて……やめて、お願い……」
「リュカ?」

急に頭を抱えてその場にうずくまるリュカを見て、アイクは慌てて駆け寄った。
腕を幼い肩に回し、抱きかかえるようにリュカを支える。

「大丈夫か?」
「うぁ、あ、アイクさん……」

顔を覗きこまれると同時に纏わり付く、強く甘い香りが一気に理性を奪っていく。

(あぁ美味しそう。ほら、そのままその肌に舌を這わせてごらん)

「やめて……! いやだ、やめて!」
「リュカ?」

両腕で抱えた頭を左右に降り、リュカは声を振り払おうとアイクの腕の中で暴れた。
けれどもこんなにアイクに近寄られては、香りがさらに強くなるばかりで。

(舌に唾液をたっぷり絡めて、肌を舐めて柔らかくするんだ。そして噛みついてごらん。彼の血はとても甘くて美味しいに違いない)
「何を、言ってるの……ぼくはそんなことしない……!」
(彼からはこんなに甘い香りがする。こんなに美味しそうな香りが)
「やだ、やめて……! お願いだから……ぼく、ぼくはそんなのしたくない……」
(どうして? あぁほら、彼を見てごらん?)

声が言うのと同時に、アイクが「リュカ……」と小さい名を呼んだ。
それに応えようと、リュカは力なく顔をゆっくりと上げた。
甘い香りで朦朧とする意識と、抵抗で少しだけ溢れてきた涙で視界が歪んでいる。
紺色の髪と肌色、心配そうな声と身体を抱き締めてくれている暖かい腕と、甘い、香り。

「廊下じゃ声が響く。話は中で聞いてもいいか?」
「アイク、さ……」

小さな声で名を呟き、弱々しく顔を左右に振るリュカ。
それは気分が悪いからではなく、リュカが頭の中に響く声にしていた最後の抵抗。
傍に寄られてしまったせいで、香りは圧倒的な強さを持ってリュカの理性を押し流していく。
だが、アイクはそんなリュカの葛藤を何も知らない。
もしリュカがアイクに自分の症状を教えていたら、アイクは最後の台詞を変えただろうか。

「とりあえず、俺の部屋に連れて行くぞ」



+ + + + +



アイクの腕に支えられる形で、リュカはゆっくりとその部屋へと足を進めていく。
あまりにも強い香りに当てられ、これ以上はいけないという心はあるもののそれが行動に出てはくれなかった。
身体が、もう言う事を聞いてくれないのだ。

「アイクさん、お願いです。ぼくを部屋から追い出して……」

腕の中で妙なことを言うリュカに首をかしげながらも、アイクはそれに首を横に振って答える。
開いている手で部屋の扉を閉め、施錠までして。

「俺と居るのがいやだというのなら、追い出す」
(ねぇ、ほら。彼を見て)
「違う……違うんです、そうじゃないんです……!」

激しく頭を振り、リュカはアイクの腕を振り払い部屋の奥へと逃げ出した。
あまりにも香りが強い。
すでに呼吸まで荒くなり、自分ではどうしようもないほどにまでに押さえが利かなくなっている。

(どうしたの? せっかく部屋に来れたんだ。早く彼の首に噛みつきなよ)
「だから、しないってば! そんなこと、ぼくは……」

アイクのベッドまで走り、そこに上半身を押し付けるように倒れこんでシーツの中に顔を埋める。
リュカの頭に響く声はアイクには聞こえない。
けれども、どうやら何かに告げごとをされているようだ、というのはアイクにも分かった。

「リュカ、大丈夫か?」
「……アイクさん、ぼく……お願い、近寄らないで……」

弱々しい声。
それとは逆に激しく上下している背中は、リュカの呼吸が速くなっていることを示している。
事実、シーツの合間から荒く繰り返される吐息が零れてきている。

「……ッぼく、変なんです……さっきから声が……ううん、変なのはもっと前から……」
「どんな風に?」
「あ、アイクさんから、すごい……甘い匂いがするんです」
「甘い?」

そういわれて、アイクは以前に「香水をつけてるか?」とリュカに問われたのを思い出す。
あの時点から異変があったということなのか。
少しぐらい疑問に思えば良かったとアイクが後悔している間に、リュカは自分の現状を告げていく。

「最初は、少しだったんです。でも、今は、傍に居られると頭がおかしくなる……甘い、すごく、甘くて……」
「甘くて?」
「お、美味しそうだなって、そう思って……」
「美味しそう……?」

怪訝そうに呟くアイクに、リュカは飛び起きてその腕をつかみながら叫んだ。

「頭から声がするんです! アイクさんの、アイクさんの首を舐めろって、噛みつけって!」
「…………」
「あなたの血は美味しいだろうって、そう、声が言う……!」

叫ぶリュカの唇の合間から、鋭利な牙が見えた。
自分がどうなっているのかわからない不安からか、リュカの大きな目に涙が溜まっている。
それには、こんなことを告げたらアイクに嫌われるのでは、という恐怖もあったのだろう。
そんな不安を察知してか、アイクはかすかに微笑み、零れそうなリュカの涙を指先で掬い上げる。

「俺だけなのか?」
「……え?」
「その匂いとか、噛みたいって思うのは。俺だけか?」
「……は、い」

力なく頷くリュカを見て、アイクは心のどこかで喜んだ。
リュカが内心に抱くものはなんなのかは分からない。
だが、その対象は自分だけ。
自分だけがリュカの苦痛を取り除けるのなら、それもまた悪くない、と思ってしまう。
リュカがこんな自分の考えを知ったらどう思うのだろうか。

「リュカ」

呼びかけ、ベッドに座る彼に視線を合わせるようにしゃがんで顔を見上げる。
不安に塗れた青い瞳を覗き込み、顔を支えるように頬に手を添えて、告げた。

「好きにしてくれていい」
「……え?」
(あぁほら、良かったね。彼がとても優しくて)

頭の声の主が、にやりと笑ったように感じた。
リュカは焦り、添えられた手を掴んで抗議をする。

「お、おかしいんです! ぼく、だって……おかしいでしょ? 甘い匂いとか血が欲しいとか、ぼくは…」
(思ってない? うそだよ、だって彼が好きだからそう思うんだよ?)
「…………え?」

焦りの表情が、懐疑で歪んだ。
好きだから、こう思う?
アイクへの想いが、自分の頭の中にこんな声を生み出していると言うのか。

「そん、な……」
「リュカ?」

急に言葉を止めたリュカに、アイクは首をかしげて様子をうかがう。
少しの間の置いて、リュカはいやにゆっくりと、静かに言った。

「……ぼくが、アイクさんを好きだから……そう思うんだって……声が、言う……」
「好きだから?」
「うん……好きだから……」
  (甘い匂いがする。傍にいたい、抱きしめたい、その肌を感じたい、身体が欲しい)
「あぁ……ねぇ、アイクさん。お願いだからぼくを止めて……ぼく、ぼくは……」

(ぼくは自分を止められない)

アイクの手を握るリュカの手が、僅かに震えていた。
青い瞳はリュカの理性が求める「否定」と、何かが求める「肯定」で揺れ、涙に濡れている。
そんな表情を綺麗だと思うのは残酷だろうか。

「リュカ」

もう一度涙を拭い、もう一度アイクは告げた。

「好きにしてくれていい」

リュカの両目が、大きく見開かれる。

「……ほんと、う、に……いいの?」
(お願い、お願い、ぼくを止めて)
「あぁ、構わない」
「ぼくのこと、きらいに、ならない?」
「なる理由が無いな」
「…………ぁ……」

リュカの表情が、歪んだ。

(ダメだって! お願いだからやめて!!)

ゆっくりと、アイクの手からその頬へと手を動かし、微笑む。

「あぁ……甘くて、美味しそうな匂い……」

理性の声は、もう届かなかった。



+ + + + +



自分に合わせるようにベッドに座ってくれたアイクの膝の上にまたがり、向かい合ったまま青い服に手を伸ばす。
緩慢な動きで襟元を開けば、綺麗に浮かび上がっている鎖骨と首筋が見えた。
より強くなる甘い香りに誘われるまま、リュカは抱きつくようにアイクの肩に手を添え、首に唇を寄せる。
シャワーは浴びていたのか、かすかに石鹸の香りがした。
そういえばこれは、自分があげたものだったような気がする。
そんなことを考えながら、リュカは啄ばむようにキスを繰り返し、やがて濡れた音をさせて舌でそこを舐め始める。
まるで愛撫のようなその動きに、アイクは背筋を僅かな快楽で引きつらせた。
だがこんなところで感じている場合ではない。
リュカの言う事が正しければ、この後首に牙がつきたてられるはずだ。
今まで経験をした怪我と比べれば微々たるものかもしれないが、さすがに首に牙をつきたてられたことは無い。
命を取ろうと、首を狙って牙を剥き出しにして襲ってくる敵なら相手にしたことはあるが――
とにかく、未経験の現状にアイクはわずかばかり緊張していた。
けれども、この性交前の前戯のような感覚が別の感情を煽ってくれるなら、まだ痛みは紛らわせるかもしれない。
痛がれば、きっとこの子はそれを気にするはずだ。
今の状態ではその行動を止められはしないだろうけれども。
首元からくる淡い感覚に時折身体を震わせながら、湧き上がる感情を押さえようとアイクは小さく息を吐き出した。
それほど長い時間ではなかったとは思う。
ふいに首に与えられていた暖かい愛撫が終わり、代わりに熱い吐息が肌を撫でた。

「アイクさん……」

かすかに耳に届く小さな呼びかけ。
あぁ、これはいよいよなんだなと、アイクは答える代わりにその身体を抱きしめる。
それを肯定と理解したリュカは「ありがとう」と蕩ける声で答えた。
「ごめんなさい」が出てこないと言う時点で、理性がないのだろう。
それも構わない、とアイクは抱きしめる腕の力を少し強める。
数度、暖かい呼吸が首元で繰り返された後、その瞬間はきた。
ブツリと音をさせて鋭い牙が皮膚を裂き、体内へと押し込まれていく。
不思議と痛みはなかった。

「ッぅあ、あ……!」

だが、その代わりに来たのは想像もしていなかった強い快楽だった。
思わずうめき声を上げて、アイクは抱きしめる腕に力をこめてしまう。
それと同時に、アイクの様子に驚いたリュカは肩を掴んでいた手をビクリとさせた。
彼がどうしたのか気にはなるのだが、ついに味わえた赤い液体はリュカを恍惚へと誘う。
本来なら非常に鼻に残り、鉄くさい味しかしないそれが、今は恐ろしいほどに甘く、口の中へと広がっていく。
リュカはアイクの首筋に顔を埋めたまま、文字通り貪るように溢れてくるその血液に喉を鳴らし、舐め上げ、嚥下を繰り返す。

「リュ、カ……」

実際、たまらないのはアイクだった。
痛みなら耐える覚悟もあったし、心構えもあった。
だが、いざリュカから与えられるのは痛みとはまったく違う快感だった。
牙を突き立てられ、己の血を貪られていると言うのに。
リュカがかすかに動くたびに、体内に埋め込まれた牙からはひっきりなしに甘い痺れが襲ってくるのだ。
気がつけば、アイクは自分の呼吸が荒くなり、また身体がいやな反応を起こしてしまっているのを理解した。
どこか冷静な部分で、自分にこんな性癖があっただろうかとぼんやりと考える。
肉を抉られて感じるなど、少なくとも自分にとっては異常だった。
だとすれば、もしかしてリュカのせいなのだろうか。
煽られるがまま、アイクはふと抱きしめていた腕をほどき、その身体に手を這わせた。
普段は肌が見えている足や腕も、今はパジャマを着ているがためにうかがうことは出来ない。
けれども、手に触れる感触はやはり成長途中の少年そのもののままだ。
獣のように、こんな風に自分の首に噛み付いて血を貪っているのが嘘のような、その細さ。
ふいに太ももをなぞると、リュカの身体がビクリと震えた。
その瞬間に、牙もまた僅かに動いてアイクに刺激を与えてくる。
普段はここを触ったとしてもなんの反応も示したりはしない。
情事におよび、感覚に敏感になっていなければ身体が跳ねたりは、しない。
まさかと思い、ゆっくりとリュカの幼い中心へと手を伸ばす。
そこに触れて、アイクはより自分の興奮が高まるのを感じた。
リュカの幼い性器もまた、明らかに熱を持ち始めていたからだ。
血を飲んで興奮しているのか、はたまた「甘い」と言っていた香りが彼にこういった作用をもたらしていたのか。
原因など定かではないが、リュカもまたアイクと同じように何かしら感情を昂ぶらせているのは事実だった。
ごくりと喉を鳴らし、アイクは未だに血を貪るリュカの性器にしっかりと手を触れさせた。
布越しの刺激ではあるが、リュカも感じているらしく首元でくぐもらせた声を零して身体を震わせている。
まだしっかりと硬さを持っていない熱を片手でなぞり、布ごと包み込んで愛撫を与えていく。

「んッぅ……」

声を零しながらも牙を抜く様子のないリュカを煽るかのように、アイクは逃げる腰を片腕で押さえ込み、愛撫を続ける。
手の中の熱が確実に硬さを増していくごとに、首に顔を埋めるリュカの吐息も荒くなっていく。
その様子に煽られ、アイクもまた己を昂ぶらせていた。
微かに香る血の匂いさえもが興奮の材料になっているようにも思える。
自分も異常になってしまったのだろうか、けれどもそれならばそれで構わない。
ここ何日もの間、触れ合う以前に会話さえも我慢してきたのだ。
リュカがおかしくなると言うのなら、それに追従するのも悪くないだろう。
この小さな身体を傷つけないようにと、今まで貪りたくなるような欲求は押さえてきた。
血が欲しいのならいくらでもくれてやる。

「……リュカ」

その代わりが、欲しい。

「んぁ……ッ……」

濡れた音と甘い声を漏らし続けるリュカをアイクは容赦なく責める。
逃がさないようにと腰をしっかりと押さえ、完全に熱を持った性器を服の上から弄り続けた。
リュカもまた、甘い血の味と香りと、そして与えられる愛撫に身を震わせる。
気持ちが良くて、どこもかしこもおかしくなりそうだ。
頭も、身体も、全部。
与える愛撫を素直に受け入れるリュカの身体は、直接触れられたわけでもないのにすでに張り詰めて限界がきていた。
もうダメだと肩を掴む手に力を込めるが、もちろん解放されるわけがなく、逆により快楽が強められるだけで。

「ん、ぅ……ッ!!」

その瞬間は唐突に訪れた。
頭の中が真っ白になり、身体がアイクの腕の中で強張り、震える。

「あぁ、ぁ………」

貫いたままの牙が喘ぎと合わさり、アイクまでもを煽る。
びくびくと震える腰と、布越しに手の中に感じる僅かな熱と湿り気がリュカが一度果てた事を教えてくれた。

「もうイったのか?」
「ふ、ぁ……」

未だに甘い痺れが抜け切らないのか、震える身体を撫でながらアイクは囁く。
荒い呼吸を繰り返したのち、リュカはゆっくりとアイクの首から牙を抜いて顔を上げた。
歯が体内から抜けていく瞬間さえも、アイクはその感覚に身を震わせて息を詰まらせる。

「アイ、ク……さん……」

赤く染まった頬に唇の周りを微かに汚す血、合間に覗く白い牙。
普段なら異様に思えるその光景は、今ばかりは恐ろしい程に扇情的だった。

「リュカ」

アイクは誘われるがままにその唇を塞ぎ、舌を絡めて呼吸も惜しいほどに口内を貪る。
先ほどまで自分の血を飲んでいたリュカの唇からは、当然ながらに苦い味がするのだが、それが今は甘く蕩けるような媚薬のようにすら思えた。
感情に流されるがままアイクはリュカをベッドの上に押し倒し、下を全て取り払う。
すでに先ほど吐き出した自らの精で濡れているリュカの幼い熱にもう一度、今度は直接指を絡めて愛撫を施していく。
キスの合間、僅かな呼吸の合間にリュカも与えられる快楽に身を震わせて声を上げた。
けっして低くは無い、けれども女性のような甲高さもない成長途中の独特な艶を持った喘ぎ声は、アイクに確かにリュカを抱いているんだと知らしめる。
リュカもまた、自分よりも遥かに強い力に押さえ込まれ、支配されていることに満たされていた。

「ひぁ、あ!」

普段の優しさなど影をひそめ、自分を、そして彼自身の欲求を満たすような強い愛撫。
気がつけば上着もはだけられており、ほぼ一糸纏わぬような姿がアイクの目の前に晒されている。

「リュカ」

低い声が心地良く耳を擽る。
胸元を這う舌に、性器を弄る指に、リュカはあられもない喘ぎを上げた。

「ん、ぁ、あッ……アイク、さ……」
「リュカ……」

涙を零し、髪を振り乱して感じるリュカの姿にアイクも自制が効かなくなっていた。
このまま中まで貪って、喘がせて、もっと乱れさせたい。
ごくりと喉を鳴らし、アイクはリュカの先走りで濡れた指を性器のさらに奥の秘所へと這わせる。
すでに濡れている指を一本、ゆっくりとその中に押し進めると、熱い内壁と引きつる足が少年の快楽の強さを教えてくれた。

「ぃあ、あああ!」
「……中、熱いな」
「ん、言わ、ないで……」

囁く声に、リュカは首を左右に振ってその羞恥に耐える。
ぐちゅ、と粘着質な音をさせるそこは、すぐに二本目の指も咥え込み、与えられる愛撫を享受していく。
抵抗もなく感じるリュカに気をよくし、アイクは彼が一番感じる場所を探った。
すでにこんなに乱れているのに、それ以上はどんな風に感じてくれるのだろう。
これを加虐愛、とでも言うのだろうか。

「は、ぁ……ッぁああ!」
「ここだったな」
「そこはッ……ダメ、ェ……!」

指先にその感覚を見つけたときのアイクの笑みは、リュカにどんな風に映ったのだろうか。
何度も執拗にソコばかりを責められ、すっかり硬さを取り戻しているリュカの熱は解放される事を待ち望んで雫を零す。

「あ、アイク、さん……」
「ん?」
「お願い、もう……はやく、ぼく……」
「……いいのか?」

今すぐにでも貫きたい衝動を押さえ、アイクはそう問い掛ける。
それにこくりと頷いて答えたリュカは、そっとアイクの頬に手を伸ばし、囁いた。

「もっと、アイクさんが欲しいです……」

熱に絆され、涙で潤んだ瞳でリュカは懇願する。
それがどれほどアイクを煽り、昂ぶらせたかをリュカは知らない。
アイクはおもむろに秘所から指を引き抜き、下を寛げてすでに熱く張り詰めている自身を取り出して押し当て、

「力、抜けるな?」
「……はい」

小さく健気に頷く姿に愛しさを感じながらその身体を抱きしめ、足を抱え上げて濡れてひくつくそこへと熱を押し進めていく。

「っ……」
「ひあ、あぁッ」

熱く蠢く内壁に締め付けられ、アイクは与えられる快楽に息を零した。
リュカもまた中を満たす熱に喘ぎ、身体を跳ねさせてそれを受け入れる。

「動くぞ?」

問いかけにこくりと頷くと、強い圧迫感を持ってアイクの性器が中を責め立ててきた。

「あ、あぁ、やっ……!」

抑える事が出来ない声がひっきりなしに溢れ、自らをも煽ってくる。
飛びそうになる意識を押さえようと、リュカは自分に覆い被さっているアイクの背に腕を伸ばし、その肩に顔を埋めた。
と、その時ふと自らをこんなに貶めたあの甘い香りが鼻を掠めてきた。
再び血を欲する欲求に刈られ、リュカは快楽に呑まれたままアイクの首筋に自らがつけた牙の傷跡に舌を這わせる。
僅かに傷口から溢れていた血が再びリュカを煽り、その感覚は内壁を責めているアイク自身をも締め付け、刺激する。

「アイ、ク……んッ」
「リュカ……」

首を舐められたアイクもまた、傷口からくる甘い痛みに煽られるがままにリュカの中を犯していく。

「ね、もうぼく……だめです……」
「あぁ、俺もだ」

耳元でそう強請られ、アイクもまた限界が近づいていたためにリュカへの愛撫を一気に強くする。
リュカが一番感じる場所を狙って熱を打ち付ければ、内壁は誘うように蠢き、アイクの熱を強く締め付けてきた。

「は、ぁッ……や、ぁああ!!」
「……ッん、く……」

迎えた絶頂に、リュカは背を仰け反らせて喘ぎ、自身とアイクの腹に白濁を零した。
アイクも、熱い内壁に望まれるがままにその熱を吐き出した。

「はぁ……ッはぁ……」

吐精が終わり、荒い呼吸を繰り返しているとアイクの手がリュカの前髪をゆっくりとかき上げてきた。
緩慢な動きで少しはっきりとした視界を虚ろな目で見上げると、少し穏かに微笑むアイクの顔が。
その首筋には、くっきりと自らが残した二つの赤黒い傷跡。

「ぼく……ごめん、なさ……」
「……謝らなくていい。もう、休め」

「疲れてるんだろう」と優しく囁かれ、抱きしめられて。
リュカは何日かぶりに訪れた深い眠りへとゆっくり落ちていった。



+ + + + +



「………………」
「………………」

(誰か、話てる……?)

ゆっくりと覚醒していく意識の中、リュカは酷く気だるい身体を叱咤して顔を上げた。
少し離れた場所でやり取りされている声が目覚めさせてくれたのか。
隣には誰もいない、が、確かな温もりはほんの少し前まで誰かが居た事を示している。
寝ぼけと疲労で霞む思考で、リュカはなんとか昨日の事を思い出そうとした。

(えっと……ぼく、きのう……)

そうだ、いつも通りの喉が渇いたから食堂に向かっていて、その途中でアイクに呼び止められて――

「じゃあ、頼む」
「はいはい、了解」

はっきりと覚えてるところまでを思い出し、リュカが「あっ」と身を強張らせた瞬間に彼等の会話がはっきりと聞こえてきた。

「ところでアイク。キミ、首に包帯でも巻いておいた方がいいんじゃない?」
「……いらん世話だ」
「そうかい? でも目立つってことだけは覚えておくといいよ」

マルスとアイクの声。
そう頭が理解したとたん、二人の会話は終わってしまったようで。
バタン、と扉が閉まる音の後、こちらに向かってくる靴音の主をリュカはゆっくりと目で見上げた。

「あ、アイク……さん……」

小さい小さい呼びかけだったが、特にうるさくもない室内にはよく通るわけで。
声に当のアイクは目覚めたリュカを目にして少し驚き、そして少し罰が悪そうに苦笑した。

「起きたのか?」
「はい。あの……ぼく、あの……」

昨日の事をはっきりと思い出せるのが途中までしかなく。
リュカは何をどう言えば良いのかわからずに顔を下に向け、そして自分が一糸纏わぬ姿でいることに気がついた。
ぎょっとして慌ててシーツで身体を隠すと、アイクが「すまん」と一言謝ってきた。

「なんというか、無我夢中だったというか……俺も記憶が定かじゃないんだが……」
「はい」
「その、あまり優しく出来なかったらしい」
「あ……っと……」

自分の姿とその謝罪で現状を理解し、顔を赤くしてベッドに座り込むリュカの横へアイクもそっと腰をおろす。

「だいぶ好き勝手したみたいだ……身体、大丈夫か?」
「あ、はい……多分……」

アイクが何を言わんとしているのか、リュカにはなんとなく分かった。
この身体の気だるさは、身体を重ねた後に来るものだ。
そのだるさが、普段よりも強く感じられる。
それがおそらくアイクの言う「好き勝手」のせいになるのかもしれない。
だが、リュカにはそれだけが原因でこうなっているようにも思えず。

「あの、ぼくはいいんです。アイクさんは大丈夫ですか?」
「ん? あぁ、俺は別に……」

そう言って気だるそうに髪をかき上げるアイク。
と、その首筋に赤黒い二つの傷跡があるのにリュカは気がついた。

(乱闘の怪我……じゃない。まさか、もしかしてぼくの牙の痕じゃ……?)

そう感じた瞬間、曖昧だった記憶が一気に鮮明になっていく。
未だに思い出せそうな甘い香りと、そして意識を飲み込んでいく快楽。
まさかこの記憶が真実だとしたら――

「あの、アイクさん?」
「どうした?」
「その、首……まさか……」
「あぁ……まぁ、気にするな」

その答えが、明確に「リュカにされたけど気にするな」という意味合いだと分かってしまった。
途端、リュカの心にアイクにとんでもないことをしてしまったという罪悪感と、あられもない姿を見られたという羞恥心が溢れ出す。

「あああ、あの! ぼく、本当にすみません!」
「いや、いい。別に痛くなかったしな。今も痛むほどじゃない」
「痛くなかった? 本当に? そんな、目一杯痕が残ってるのに……?」
「困った事に本当に痛くなかった」

それどころか、感じてしまった――などとは口が裂けても言えなかったが。

「だから大丈夫だ。それより、リュカ……」

自らへの罪の意識で涙目になっているリュカを抱きしめ、アイクはその顎を指先で上向かせて唇に指を這わせた。

「牙が少しも見えないが……もしかして治ったか?」
「え、う、うそ……」

そう言われ、慌てて自分の手で口元を触って確かめてみる。
確かに、今まで感じていた違和感がすっかりと消えているように思える。

「リュカ、こっち向け。『いー』ってしてみろ」
「ん、はい」

言われるがままに唇を吊り上げて『いー』という口の形を作ってみる。
と、唇に触れていたアイクの指がスッと離れ、

「……無いな、牙」

信じられないという色合いと、安堵の色合い。
双方が混じった感覚でアイクが言うと、リュカは徐々に表情を綻ばせていった。

「本当に……ない、ですか?」
「あぁ、見当たらない。お前はどうだ? 身体の不調はないか?」

そう聞かれ、そう言えばこんなにアイクの傍にいるというのに今は何の香りも感じていないことに、リュカは気がついた。

「何もないです。もしかして、ぼく……」
「治ったんだろうな」

そのアイクの一言に、リュカは満面の笑みを浮かべてアイクの胸元へと顔を埋めた。

「やった、良かった! これでいつでもアイクさんの傍にいけます!」
「あぁ、そうだな」
「でもごめんなさい……こんなことに巻き込んで……」
「いや、気にしてない」

アイクは本心からそう告げ、内心でのみ「俺だけを求めるのなら大歓迎だしな」とひっそり付け加える。

「身体、だるいだろ。他の連中に俺たちをほったらかしてもらうよう、マルスに頼んだ」

だから寝ろ、とアイクはリュカの身体を抱きしめたままベッドの中に潜り込む。
その腕の中に収まりながら、リュカはアイクの首筋に残っている傷跡に指を近づける。

「そうだ、これ治しますね。ライフア…」
「いや、このままでいい」

PSIで輝きが宿りかけた指先を手で覆い、アイクは首を横に振った。

「え、でも……」
「どうせいずれ治る。それに、これぐらいの傷で痛がっていたら戦場には出れないからな」
「そう、ですか? それなら……」

不思議そうに目を見開くリュカの頭をなで、それらしい言い訳をして納得させる。
本心なんて言えるわけが無い。
リュカが自分を欲していた証拠だから消したくない、だなんて。
やがて腕の中でウトウトし始めたリュカを抱きしめながら、アイクもまた気だるい眠気に身をゆだねて瞳を閉じた。



+ + + + +



「……なに、これ……」

黒髪の少年は、一人鏡を見つめて驚きを隠せずにいた。
唇の合間からかすかに見える白い歯は、間違いなく幾日か前に少年の親友がなっていた現象と同じなわけで。

「どうして、どうしてぼくに牙が……」

その瞬間、ドアがノックされた。

「ネスー、起きてるかい? もう朝だよ?」

扉の向こうから聞こえてきたのは、少年の大好きな人の声。

――ぼくがアイクさんに近づいたら絶対に何かしちゃう気がするんだ……

ふと、数日前の親友の願いが頭を過ぎる。

――だからお願い。ぼくとアイクさんを会わせないようにしてほしいんだ。

それはすなわち、自分の想い人が傍にいるとなんらかの影響があるという事。

「うそ……でしょ……?」


自分の身に起こった事が何なのか理解できず。
少年は一人、鏡の前で呆然と立ち尽くしていた。







* * * *





ちょっとしたヨタ話。
長くてすみません、どうしても切りたくなくて……結果がこれです。
やりたい事詰め込んだらこうなりました。色々と、色々とごめんなさい。でも楽しかったのは事実!
「牙が〜。血が〜。」とかの原因云々はご想像にお任せな気持ちです。
個人的な意味合いとしては『性的な欲求の表れ』と捉えて扱ってます。だから香りとかも好きな人(アイク)からしか感じない、という。
血が欲しいとかそういうのは、その延長線上で煽られて行き過ぎてしまった感情で。暴走してるということで。
最後のネスもまた、同じ状態になってるという。続き書くかどうかは謎(笑)
タイトルの意味は外国の格言みたいなものです。ググとけっこう面白い意味合いが出てきます。お気に入りです。




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