【 心願い 】

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「……っ……」
「……マルス兄ちゃん?」

それはネスにとって、とても意外な光景だったのかもしれない。



+ + + + +



「お邪魔するよー、マルス兄ちゃん」

昼下がりの午後、ノックも無しに呼びかけの声だけを挨拶に、ネスはマルスの部屋を訪れた。
この入り方はいつものやり方で、最初からこうであったためマルスに咎められた事も無い。
普段どおりにドアを閉めたネスは、ふといつもとは違う違和感に襲われた。
何が違うのだろうと考えてみるが、答えは出てこない。
部屋の模様替えがしてあるわけでもないし、部屋を間違えたと言う事でもない。

「マルス兄ちゃん?」

そう呼びかけて違和感の原因に気がついた。
マルスが出迎えに来てないのだ。
いつもなら頼んでもいないのにすぐに飛んできて抱きついたりするのが普通なのに。
それが今回は飛んでくる気配すらないし、何より呼びかけに答える声も無いのだ。

「……別に寂しいわけじゃないし」

ふと「なんで来ないんだろう」と思ってしまった自分に言い訳をしつつ、帽子をかぶり直してネスは部屋の奥へと足を運ぶ。
さして広くも無い一人部屋の中、マルスの姿はあっさりとベッドの上で見つかった。

「あれ、寝てる?」

基本的に規則正しい生活をしているこの人が、昼間から横になっていると言うのはけっこう珍しい。
ネスは面白さ半分で、自分に背を向け、壁の方を向いて寝ているらしいマルスに近寄っていく。
寝顔を見たことが無いわけではないのだが、こうこちらがはっきりと起きている状態で無防備な相手を見れると言うのは好奇心をくすぐるに十分過ぎる。
そっと、なるべく音を立てないようにネスはゆっくりとベッドに登る。
マルスは住んでいた土地柄や生活環境上、非常に気配に敏感らしく、ネスがバレないように後ろから近づいていても、大抵見破られてしまう。
それが今回はどうだろう。
熟睡でもしているのか、彼が起きてしまいそうな様子すらない。
イタズラな笑みを浮かべたまま、ネスは鼻でもつまんでやろうかとそっと顔を覗き込み――

「……っね、うえ……」

寝言を呟いたマルスと、その表情にネスは思わず手を止めて笑顔を消してしまった。
彼は、閉じたまぶたのふちからポロポロと透明な雫をこぼしていた。

「……マルス兄ちゃん?」

マルスは泣いていた。
嗚咽を漏らすような酷い泣き方ではない。
まるで誰にも見つからないように、隠れてるかのようにひっそりと涙をこぼしているのだ。
一体何があったのかと動揺し、ネスはそっとマルスの頬に手を添える。
と、その瞬間、ネスの頭に軽い刺激と共に強い感情が流れ込んできた。

――ヤバイ……

具体的に理解するのではなく、本能的にネスは危機感を感じ取った。
ネスは、自身が持つ「PSI」という力のお蔭で他の心を理解することができる。
その力を制御する事は出来ているのだが、それはあくまでも「ネスが」相手の心を受け取る場合に限りだ。
相手が強い感情を溢れさせている場合、ネスの防御を超えてその心が入り込んできてしまう事が稀にある。
それが今回、マルスの持つ強いなんかしらの感情が、ネスの力を超えて流れ込んできてしまったようで。

――う、キツイな……

一体何の感情が渦巻いているのか。
少なくとも涙を流すような感情だと考えると、あまり良くない方面のものだろう。
苦痛に顔を歪めるネスの頬に、つと一筋の雫が零れ落ちる。
それはネスの瞳から溢れはじめた涙だった。

「あ、う……」

涙が溢れた瞬間、ネスはマルスが捕らわれている感情を一気に理解してしまった。

それはとても大きな哀しみ、自分への絶望、未来への不安。
弱さを表に出してはならないと言う強固な鎖のような抑圧の心。
誰かに縋る事も、泣く事も出来ずに高まってしまった孤独感。

「あ……ぁっ……」

マルスがこんな感情に襲われたのがどんな状況なのか、ネスにはまったく分からない。
けれども、これはあまりにも哀しすぎる感情だった。

「兄ちゃ……」

ボロボロと両目から涙をこぼしながら、ネスはゆっくりと濡れたマルスの頬を撫でた。
溢れる雫は頬を伝い、悲しみからだろうか、強く握られているマルスの手へと落ちていく。

「にい、……マルス、兄ちゃ……」

他人の心を感じる力は、とても便利に見えて酷く無力だとネスは思っている。
人の心を分かったとしても出来る事など何も無いのだ。

例えば今のように、涙を零している人を救うことだって出来ない。

止まる事の無く流れ込んでくる感情に、ネスはただマルスの名を呼びながら泣く事しか出来なかった。



+ + + + +



城も襲われ、姉の生存も知れず、父と母の死が告げられて。
それでも立ち上がらなければならなかった。
しゃがみこみ、泣き叫ぶなど許されなかった。
行かなければならなかった。

本当は恐かった。
すごくすごく、恐かった。

だけど、名前を呼んでくれる人がいたから。

――マルス……

そう、支えてくれる人がいたから。

――にい、ちゃ……


……この声は?



ふと聞きなれた声に、マルスは目を覚ました。
何度かまばたきを繰り返し、ゆっくりと視線を動かすと見慣れた小さな膝が見えた。
そのまま上を見やると、帽子でうつむいた表情が隠れてしまっている少年がそこにいた。

「ネス?」

寝起きの掠れた声で呼ぶと、ネスはビクリと肩を揺らして顔を上げてくれた。
と同時に、手に何かが当たるのを感じる。
なんだろうと握りしていた手を動かすと、かすかに濡れているんだと分かった。
なぜ濡れているのか、一瞬考えたマルスはネスの表情を見てその答えを知った。

「ネス、泣いてるの?」

大きな両目から溢れ出る涙が、頬を伝い手のひらに零れ落ちていたのだ。
どうしてネスが泣いているんだろう。
そう思ったとき、マルスは自分のまぶたも濡れているのに気がついた。
自分も、泣いていたのか。

そう言えば全てを失った、あの夜の夢を見ていたような――

「にいちゃん……」

鼻声で、ネスは小さく呟く。

「ごめん、なさい……」
「……どうして謝るの?」

キツく瞳を閉じてそういうネスを抱きしめ、マルスは聞いた。

「マルス兄ちゃんの心……受けちゃったから……」

多少なりPSIの力はマルスも聞いているし、「心」を読むことも出来るという事も知っている。
おそらく、ネスは計らずもこちらの心を感じてしまい、同じように涙を零しているんだとマルスは理解した。

「そんなつもり、なくてっ……ごめ……」
「いいよ、謝らなくていいってば」

そう言って、抱きしめる腕に力をこめて言葉を続ける。

「むしろ僕こそごめんね。嫌な気持ちにさせちゃって…」
「そんな……そんなことない!」

優しく語るマルスとは対照的に、ネスは腕の中で声を張り上げた。

「嫌だなんて、そんなことない!」
「ネス?」
「泣いてるのは、マルスの感情に釣られたのもあるけど……でも……」

頭を振りながら、ネスはマルスの青い服を握り締め、その胸元に顔を埋めた。

「それよりもぼく、自分が何も出来ないのが嫌で、悔しくて……」

その言葉に、マルスは青い瞳を携えた目を大きく見開いた。
この子は、たまたま流れてしまったこの感情に同情するでもなく、哀れむでもなく。
何も出来ないと、泣いてくれていたのだ。
どうにかしたくて、でも出来なくて。
それが悔しいと言ってくれている。

「ぼくはマルスがこんな気持ちの時、どういう状況だったとかは全然分からない……」

こんな哀しい思いを持っているなんて知らなかった。
こんな思いを抱いて生きているなんて知らなかった。

「でも、ぼく、マルスが一人で泣いてるのは、やだ……」

とぎれとぎれになりながら、腕で目元を何度も拭いながらネスは告げる。
自分は子どもだ。
マルスよりもはるかに幼く、生きてきた環境だってまるで違う。
それでも、マルスは自分を大事だと言ってくれる。
力の無い自分を慈しんでくれる。
そんな人に、自分は何も返せないのだろうか。
この人を包む哀しみを、せめて半分でも奪う事は出来ないのだろうか。

「ネス……」

肩を震わせるネスを見つめながら、マルスは言いようの無い想いに駆られた。
この子の涙は哀れみでも同情でもない。
ただ、この哀しみを一緒に理解しようとしてくれている、暖かいものだ。

「……ありがとう」

そんな想いだけで、一体どれほど救われるだろうか。
本当は、こんな自分を見せたくは無かった。
きっとかっこ悪いと思われるから。
でもそれは杞憂だったらしい。
この子はきっと、どんな想いも真っ直ぐに受け止めてくれるに違いない。

「ありがとう、ネス」

マルスはもう一度そう言って、まだ涙を零しているネスの頬に手を添え、ポロポロと流れる雫を何度も指で拭いとる。
ゆっくりと、ネスは赤くなった目を擦りながら顔を上げた。
もうマルスに触れても、触れられても、ネスにその哀しい感情が流れてくる事は無かった。
変わりにやわらかく流れ込んでくるのは暖かい心。
じんわりと気持ちが落ち着くのを感じながら、ネスは涙を拭ってくれているマルスを見上げる。
視線の先の青い瞳もまた、落ち着いた色合いを取り戻しているようだった。

「マルス兄ちゃん」
「何だい、ネス?」

ふと微笑みながら答えるマルスに、ネスは照れを隠すかのように帽子の位置を直す。

「あのさ」
「うん、なぁに?」
「ぼく、兄ちゃんからしたら子どもかもしれないけどさ」
「……それに頷いたら怒るかい?」
「ど、どっちでもいいよ! とにかく、さ……」

もごもごと口ごもりながら、ネスはゆっくりと続けた。

「兄ちゃんが嫌じゃなければ、ぼく、そばにいたい」

それはきっと、今のような時のことを言っているんだろう。

「何を言ってるの?」

あぁ、なんて優しいのだろう。

「僕はいつだってネスと一緒にいたいよ」

にっこりと微笑むマルスに、ネスは思わず顔を赤くしてしまった。
そんな様子に気付きながらも、マルスはネスを遠慮なく抱きしめる。

「でもさ、ほら。ネスにそんなとこ見られなくなくてさ」
「……やっぱり嫌?」
「ん? 嫌じゃないよ。そうだなぁ、言うなれば『恥ずかしい』かな」
「恥ずかしい?」
「うん、だって僕はカッコつけだからさ。ネスの前で情けない姿出したくなくて」
「カッコつけって……それ、自分で言う?」
「だってネスの横に立つのにカッコ悪いなんて、僕が嫌だもの」
「カッコいいとか悪いとか、マルス兄ちゃん分けわかんないや」
「あははっ、ごめんごめん」

ポンポンと小さな頭を撫でながら、マルスは愛しそうにネスを抱きしめる腕に力をこめた。

きっと今度涙を流す時には、それをキミが拭ってくれるのだろう。
歩んできた道を聞くわけでもなく、どんなに辛かったか問うわけでもなく。
慰めるでもなく、でも、そばにいて気持ちを分かち合おうとしてくれるのだろう。

(そんなキミだから、大好きなんだよ)

自分をすっぽりと包む腕の中、ネスはふと心にマルスの言葉が流れ込んできた気がした。


(ありがとう、ネス)





* * *





ちょっとしたヨタ話。
マルネスのマルスは、非常に色々と複雑な心の持ち主で妄想してます。ヤンデレではないんですけどね(笑)
ネスはちょっとマセてたり背伸びしたりしてますが、純粋に心優しい子だと思ってます。
こういうシリアスな時もあったりしますが、基本はマルスがネスをいじり倒して、主導権握りまくり(笑)
でもたまに優しいネスに、マルスが救われてたり…と妄想するのが楽しいです。



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