【 想い、想われ 】

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こと、アリティア国王子のマルスは非常に困っていた。

「あぁ……もう耐えられない。もうやだ」

いや、正確に言えば「困っていた」というよりは「参っていた」というべきか。

「もう帰りたい。いや、帰ったら一緒じゃないか。それどころかますます逃げ道がなくなる。いっそどこか遠くに旅立ちたい。僕の事を知る人がいない場所に行きたい」

どうやらマルス王子、相当重症らしい。
だが、それもそうかもしれない。
ブツブツと小言を漏らす彼が突っ伏しているテーブルの上には、それはもう「ちょっと多くね?」と言いたくなるぐらいの紙の山が出来ているのだ。
ちなみに全部、国の案件の書類である。
つまり、マルスの現在のお仕事ということだ。

「何コレ。戦争が終わってマスターハンドから大乱闘へのお呼びが掛かってさ。『よっしゃ息抜きが出来る!』なんて思っていたのにさ。何コレ、なんでデスクワークに襲われなきゃいけないんだよ」

なにやらこの王子、今日は非常に虫の居所がものすごく悪いようである。
原因は多分本人にもよくわかっていないのかもしれない。
要するに、なんとなく煮詰まってやけくそになりかけてる、みたいなものだと思われる。
誰だって疲労は溜まる、それは王子であっても当然ということか。

「…………もうやだ」

まるで子どものようにぼやき、彼はおもむろに席を立ち上がって窓の傍にあるベッドへと飛び込んだ。

「僕は寝る、不貞寝だ。ストライキだちくしょー」

そうグデグデと文句を垂れながら枕に顔を押し付け、そして体を横に向けなおして大きくため息をつく。
開けてあった窓から心地良い風がそよぎ、髪を撫でていく。
暖かい日差しが部屋を照らし、寝転んだ体を程よく暖めてくれる。

「……なんか、ぐっすり眠れそう」

もう、テーブルの上に聳え立つ紙の山のことは忘れよう。
明日頑張ればいい、そうだ、明日できるんだから明日やればいいんだ。
僕よ、今日はもう止めておこうじゃないか、きっと何も頭に入らないさ。
とんでもないほどの怠け思考に至りながら、マルスはふと意識を眠りの方へと送り始めていた。

――ドンドンッ!

「マルス兄ちゃーん?」

が、そんな意識を思いっきり引っ張り上げてくれる声が響いた。
それはとても愛しい、我が幼い恋人のもので。

「……ネス?」

聞きなれた声に、マルスは少しだけ顔を上げて音のした扉を見つめた。
いつもなら、最愛の子の来訪に心涌き躍るところである。
が、今日ばかりはものすごくテンションが低い。
絶不調ってやつである。
会いたくない、とまでは行かないが、多分一緒にいても楽しませて上げられないだろう。

「ごめんよ、ネス……だらしない僕を許してくれ……」

わけの分からない謝罪を漏らし、マルスは居留守を使おうと再び不貞寝を開始した。
だが、相手がそんなマルスの意見を素直に聞き入れるわけが無い。
普段から素直じゃないのに、こんな場面でそんな気をまわしてくれるわけが無い。

「いないの? 開けちゃうよー」

――追いかけたら逃げるのに、そうじゃないときはキミから来てくれるんだね。

心のどこかでホロリと涙を零し、マルスは勢い良く開く扉の音と元気な声を背中で受け止める。

「マルスにい……」

と、眠る(ように見えている)マルスの様子に気付いたか、ネスの声が呼びかけの途中で止まった。
足も止めたのか、しばしの間沈黙が部屋を支配する。
と、次に聞こえたのは部屋から遠のいていく足音だった。
おそらくネスはマルスが寝ていると判断したのだろう。
だから声をかけてもしょうがないと、そう思ったのかもしれない。
そのまま誤解してくれ、とちょっぴり酷い事を思いつつマルスは瞳を閉じ続ける。
だが、明らかに遠ざかって、そして廊下にまで出たであろう足音は聞こえても、扉を閉める音が聞こえなかった。
いくらネスでも、人の部屋の扉を開けたまま出て行くなんてことはしない。
何をする気だろうと耳を澄ましていると、次に聞こえたのは隣の扉をノックする音。
確かそこは。

「アイク兄ちゃん、ちょっといい?」

そう、アイクの部屋。
一体ネスは何をするつもりなのだろうか。
扉が開いているであろうこの状況では何をするわけにもいかず、マルスはひたすら目を閉じたまま耳を研ぎ澄まして音を拾い上げる。
けれどもこのハルバード、意外にも防音がかなりしっかりしている。
何かごにょごにょ話しているのは分かるが、扉が空いているとは言え隣の部屋の声がはっきりと聞き取れるはずもなく。

「ごめん、ありがと」
「別に構わん、気にするな」
「うん、じゃあしばらく借りるね」

言葉の断片から、ネスが何かをアイクから借りたようだが。
そこまで考えたところで、どうやらネスは部屋に再び戻ってきたようだ。
状況からして、アイクからの借り物をその手に持っているはずだ。
一体何をするのだろうか。

――まさかラグネルじゃないだろうな。起きてないからって殴るとか?

ネスがどうやればラグネルを持ち上げる事ができるというのか、冷静になれば難しいと分かるはずなのに。
どうやらマルス、思考もちょっとお疲れのようである。
そんなのは露知らず、ネスは少しだけ気を使っているらしく足音をしのばせながらベッドへと近寄ってくる。
表情は変えずに、けれど内心はけっこうドキドキしながらマルスはネスの気配を探る。

「しょうがないなぁ、もう」

その一言の後、バサっと音を立てた何かが体全体を覆うように被せられた。
そして、薄手の毛布だと思われるそれを肩まで掛けて丁寧に整えてもくれたのだ。

「暖かいけどさ、このまま風邪引いちゃったらどうするの?」

――ネ、ネス……ッ!!!

突然の出来事とネスの言葉に、マルスは心の中が一気に春へと変わっていく。
そう、それはまるで冬の寒さから解き放たれ、暖かい日差しに花達が芽吹く歓びにも似て――
ややこしい表現はやめよう。
とどのつまり、マルスはネスが心配をしてくれた事にものすごく喜び、そして舞い上がった。

――あぁ、ネスが……ネスが僕の心配をしてくれてる!!

普段はどんだけ構おうともつっけんどんな態度が多いネスが、こんな直接的な気遣いをしてくれるなんて。
ネスの普段の態度の悪さはただの照れ隠し、マルスはそう承知しているので問題はないのだが。
それでも、マルス本人が寝ているからこそ本音で行動しているネスに嬉しさがこみ上げる。
マルスが眠っていると思ったネスは、本人が占領しているベッドから体にかけるのもを取るのを困難だと判断したのだろう。
わざわざアイクの部屋に足を運んでシーツを借りてまで、マルスの身を案じたのだ。
起き上がって抱きつきそうになる衝動を、国を統べる事さえ可能にしている強靭な精神力で何とか押さえ込み、マルスは体を覆う暖かい感触を満喫する。

「それにしても、すごい量……」

感動に浸っていると、ボソリとネスが呟いた。
おそらくテーブルの上に積み上げられている紙を見ての発言だろう。
そうでしょうそうでしょう、もう大変なんだから。
なんて心の中で少しだけ毒づき、マルスは気付かれない程度にため息を吐く。
そう、少し寝たら――最低でも明日からはあの紙の山と戦わねばならないのだ。
まだ剣を振り回しているほうが楽だな、なんて思っていると、ふいに頭に何かが触れてきた。

「これじゃあ疲れちゃうよね、一人で頑張ってるんだもん」

優しい呼びかけと、そして髪を撫でていく小さな手。

「お疲れ様、マルス」

――て、天使だ……!!

その言葉に、マルスの心の中が地上の春から極楽の天国へとレベルアップしていく。
羽なんか無くったって、マルスにとってネスは間違いなく天使になった瞬間だった。
いや、普段から天使みたいに可愛いと思っているけども。
どうやらネスは、マルスが思っていた以上にこの身を気にかけてくれているらしい。
情けないと自覚しつつ、思わず泣きそうになりながらマルスはわざと少しだけ身じろいだ。
その行動を、「起こしてしまうかも」と感じたネスは、彼の思惑通りにそっと頭から手を放す。
そうしてマルスを起こさぬように、ゆっくりとベッドから離れて扉のところで振り返る。

「あとで何か持ってくるよ。だから、頑張ってね」

その言葉を残し、最後に聞こえたのは扉が閉まる音。

「………………」

それと同時にぱちっと瞼を開き、マルスはネスが掛けてくれた寝具に顔を埋めて歓喜のため息をつく。
情けないかもしれないが、嬉しくて泣きそうだ。
というか、実はちょっと目頭に涙が溜まっていたりする。
すでにマルスの身や心からは、数分前に漏らした疲れと嘆きがウソのように吹っ飛んでしまっていた。
王子という身分も、それ故にこなさねばならぬ事柄も呪うほど嫌いではない。
生きてきた人生上、自分の気力や理性なんかも人一倍制御できる自信はある。
それでも、どう足掻こうとも人間であることに変わりはないのだ。
神の剣を扱えはしても、強力な力や寿命を持つマムクートになんてなれやしない。
マルスの体だって精神だって、そりゃたまにはくじける事もあるのだ。
ただ、統べる国の民にそんな一面を見せていては示しが付かないのは事実。
頼れる仲間はいるが、弱みをあっさりと見せて良いかどうかはまた別問題だ。
だからこそ自分の地位が関係しないこの世界は、彼にとって非常に肩の力を抜く事が出来る場所になりつつあった。
そしてこの身を案じてくれたあの少年こそ、彼がしがらみ無く手を繋ぎ、微笑みあえる相手なのだ。

「………………」

――これじゃあ疲れちゃうよね、一人で頑張ってるんだもん。

少し前のネスの言葉を思い起こし、マルスは無言のままゆっくりと身を起こす。
そして体を包んでくれていた毛布を見つめ、ふと笑みを漏らした。

「僕は、一人じゃないんだな」

こうして心配してくれている人がいるなら、それは自分が一人ではないという証拠だ。
確かにこの仕事はマルスにしか出来ないことでは有るが、ネスがまったくもって力になっていないわけがない。
マルスが頑張ろうと思える原動力がネスの存在そのものなのだから。
んーっと声を漏らしながら腕を上げ、伸びをして少しばかり凝り固まった体をほぐす。

「もう少し頑張ろう」

元気は貰った。
案じてくれた分、頑張ってみようじゃないか。
それにネスの言葉を信じるなら、あとで彼が何かを持ってきてくれる可能性がある。

「ネスが会いに来てくれるんだ。カッコいいとこ見せないとなぁ」

果たしてデスクワーク姿がそれに該当するか、自分では判断がつかないが。
少なくとも、情けない怠け姿を晒すわけにはいかない。

「やれやれ。その内アリティアは、ネスがいないと上手く機能しない国になりそうだ」

自分の元気の取り戻しっぷりに苦笑し、マルスはもう一度テーブルの上の資料と戦う決意を固めたのだった。



* * *



――その後日。


「アイク、すまない。ネスがキミからこれを借りたんだって?」

大体なんとなく分かっていた事実を、さもネスから聞いたかのように口にして。
マルスは手に持っていた薄手の毛布をアイクに差し出す。
当のアイクはそれを見つめてしばし思案し、そして「あぁ」と手のひらを拳で打つ。

「そういえばそうだったな。わざわざすまない」
「いや、こちらこそ。キミに手間取らせる様になるとは」
「別に手間じゃないが。あまりネスに心配かけるなよ」
「……ネス、そんなに心配していたのか?」

さりげないつもりで聞いたが、アイクは若干「しまった」という風に眉をしかめる。
その様子が、余計にマルスの気に掛かる。

「…………まぁ、あまり言うなと言われたがな」
「ネスに?」
「あぁ、お前の事はなんだかんだで心配しているぞ。見せる態度は別にして、内心は相当だ」
「…………」
「これを借りに来た時もだ……」

   『使うのはいいが、マルスを一回起こしてベッドにちゃんと寝かせれば済むんじゃないか?』
   『ダメだよ、マルス兄ちゃんは疲れてるんだ。仕事、大変みたいだし。あまり起こしたくないんだ』
   『それがアイツの役目だ。仕方がない』
   『仕方がないけど……でも、だから少しぐらい休ませて上げたいんだ』
   『案外心配性だな』
   『そりゃマルス兄ちゃんの事だもん……! 心配、するよ……』
   『そうか。そんだけ想われれば、アイツも報われるな』
   『……あ! こういうの、兄ちゃんに言わないでね!? 後でうるさいからさー』
   『あぁ、分かった分かった』
   『本当? 約束だよ?』

「……とかなんとか言って、顔を少しばかり赤くして……ってオイ、マルス?」

ふとアイクは、話の途中でマルスが消えているのに気がついた。
自室の扉は豪快に開かれたままだ。
若干遠くから廊下の床を蹴る足音が響いている。
そういえば、マルスは相当足が速かったっけな。

「…………やっぱり言ったらマズかったか」

そのボヤキの後、どこからかマルスがネスの名を叫び呼ぶ声と、それから逃げるネスの悲鳴が聞こえたような気がするが、多分気のせいだろうとアイクは割り切る事にした。








* * * *





ちょっとしたヨタ話。
ふざけて書き始めたら、楽しくてしょうがなくなりました。
最初は「マルスが仕事に不満タラタラになって不貞寝したら面白いな」と思いまして。
彼は「職務には真面目」というイメージがあるので。どんなにネスバカなマルスでも(笑)
でも、やっぱり人間だし。たまには「やってられっかよ!」ってなったら面白いなって。
そんだけの勢いです。ギャグのつもりだったのですが、どうですかね。
ちなみにマルスにとっての天使はピットくんじゃありません、ネスです(笑)




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