【 Astragalus sinicus 】
それはある日の夢。
(リュカ……リュカ……)
名を呼ぶのは、耳の奥で木霊するかのような酷くぼやけた声。
誰だろうと顔を上げると、目の前の真っ暗な空間から伸びてきた赤く濡れた手が、おもむろに腕を掴んだ。
『……っ!?』
自分と同じぐらいの細さの手に嫌なものを感じ取り、リュカは背筋を凍りつかせた。
その先で感じるであろう恐怖を思い出し、リュカは手を振り解こうと力の限りに腕を振るう。
『あ、嫌だ……お願い……放して!!』
――ベチンッ!
「いたっ!」
ふと、腕に絡んでいた手以上にはっきりとした感触と同時に、誰かが痛みを訴える声が耳に飛び込んでいた。
やたらと聞き覚えのある声に一気に目を覚ましたリュカは、慌ててベッドから身を起こす。
「や、おはよ」
そこにいたのは、鼻の辺りを手で抑えて苦笑しているリンクだった。
「リンクさん……!」
「朝から元気だね、リュカ」
「あぁ! ご、ごめんなさい!! ぼく、叩きました、よね……?」
「ばっちり。てっきり起こしたから怒ったのかなって思っちゃった」
どこか冗談含みで言うリンクに、リュカも思わず笑ってしまう。
「起こしに来てくれたんですか?」
「うん、ちょっと遅かったから。具合でも悪いのかなって」
「すみません、すぐに着替えます」
「ん、急がなくていいからね」
「はい、ありがとうございます」
ベッドから飛び降り、着替えを始めるリュカの背を見つめながら、リンクははたかれてしまった鼻をさすった。
起こしに部屋に入った時に最初に聞こえたのはリュカの小さな呻き声だった。
「嫌だ」、「放して」と苦しむ姿に慌てて起こしにかかったのだが。
(そしたら叩かれたけど……)
おそらく今ここで「何か夢を見ていたか」と聞いても、なんでもないとリュカは答えるだろう。
リュカはそういう子だし、あるいはすでに夢の内容を忘れているかもしれない。
苦しそうな様子は気になったけれども、今は聞くタイミングではないのだろう。
それでもそのまま放っておくことも出来なくて。
と、リンクはあることを思い出して笑顔を浮かべ、寝癖を直しているリュカに声をかけた。
「そうだ、リュカ。今日はなんか予定ある?」
「いえ、何もないですよ」
話ながらリュカからブラシを受け取り、相変わらずの跳ねっぷりを見せる髪をとかしていく。
「ちょっとさ、見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの?」
少し不思議そうなリュカに笑顔を見せ、続ける。
「正確に言うと見せるのとは違うけど……とにかく、時間はあるんだよな?」
「はい、平気です」
「良かった。じゃあご飯食べてきたら外に来てくれないか?」
「わかりました」
そう答えてくれたリュカの頭を撫で「終わったよ」と肩を叩く。
「ありがとうございます」
「それじゃ、俺は下で待ってるから」
「はい」
普段通りのその笑顔に、これならさほど悪い夢でもなかったのだろうと判断し、リンクは安堵して部屋を出て行くリュカを見送った。
+ + + + +
「……わぁっ!」
食事が終わり、リンクに言われた通り外に出たリュカの目の前には、見たことのある――けれども、この世界に来てからは一度も目にしなかった光景があった。
それは、人を乗せて走る一頭の馬の姿。
その背にまたがり、手綱を握っているのはリンクだ。
乗っている馬と息が合うのか、彼の表情は非常に楽しげに見える。
馴れた手さばきで綱を引き、馬を操るその姿にリュカは思わず声を上げた。
「すごいです、リンクさん! 馬に乗れるんですか!?」
高揚したリュカの声に気付き、リンクは手綱を引いてリンクの元へと馬を向かわせる。
「よっ、リュカ」
「見せたいものって、これだったんですか?」
「まぁ見せたかったってのもあるけど……」
目を大きく輝かせ、馬の身体を撫でるリュカにリンクは手を差し出した。
「目的はこっち。おいで」
「え……?」
ふいにかけられた言葉に、リュカは首をかしげた。
おいで、とはどういうことだろうか。
「見てるのもいいかもしれないけどさ、乗るとすごく気持ちいいよ」
「ぼく、ですか? でも……」
慣れない自分が乗っても平気だろうかと少し不安に思い、リュカは馬に手を触れたまま黙ってしまった。
と、急に馬がリュカに顔を近づけてきた。
少し驚き、顔を上げたリュカを励ますかのように、馬はじっとリュカを見つめている。
「エポナも乗れってさ」
「エポ、ナ?」
「あ、こいつの名前だよ。俺の相棒みたいなもんでさ」
「そうなんですか……エポナ、ぼくも乗っていいの?」
リュカの問い掛けに、エポナは僅かに嘶いて『どうぞ』と答えた。
その言葉にふっと笑みを漏らし、リュカは「ありがとう」とエポナの鼻筋を撫でる。
「じゃあ決まりだな。こっち来てくれ」
嬉しそうなリンクに言われるがまま、リュカはその横に歩み寄る。
「鐙……あ、と、これに足かけて」
「こうですか?」
「そうそう、そこから跨いで……引くよ?」
リンクに支えられながらなんとかエポナの背を跨ぎ、リュカは見慣れない視界に心を躍らせた。
「うわぁ……なんか良いですね」
「だろ? 走るともっと気持ちいいよ」
「本当ですか?」
「もちろん。じゃ、俺の腰に手を回して掴まって」
「え?」
「落ちないようにだよ。ほら」
早く、とばかりに促され、リュカはゆっくりと手をリンクの腰から前へと伸ばした。
「俺に体重預けていいから。じゃ、行くよ?」
「は、はいっ」
返事を合図に、リンクはエポナの腹を蹴った。
徐々に早くなっていくスピードと馬の動きに、リュカは思わずリンクの背に抱きつくように腕に力をこめてしまった。
自然と身体が近づく状態になってしまい、少し早くなった心臓の音が彼に伝わってしまわないか。
風を切り、流れていく風景を目にしながらも、そんな心配がリュカの頭の中を埋め尽くしていく。
ふいに上げた視線の先に、進行方向の先をスッと見据えるリンクの顔が見えた。
普段のにこやかな表情とはまた違うその姿に、リュカはまた意識せずに心拍数を上げてしまっていた。
「リュカー、どう? 気持ち良い?」
どれぐらい見つめてしまっていただろうか。
視線は前のままだったけれど、リンクはリュカにそう呼びかける。
「えっ、あ、あの……!」
リンクの顔を見つめていた、なんて答えることなんて出来なくて。
突然の問いに何も答えられないリュカに、リンクは首を捻ってその顔を覗き込む。
「どうした? 初めてで緊張してる?」
「えっと、そんな感じ、です……」
「あはは、そっかそっか」
そう言って笑うリンクの笑顔に、リュカは自分の顔が赤くなるのを感じた。
青い空を背に映える金色の髪とその笑みは、いつも自分の目を惹き付けてしまう。
ドキドキしている自分を誤魔化したくて、馬を駆るその背に顔を押し付け、ただ風の音だけを耳に入れようと試してみる。
でも、耳の奥で鳴り響く自分の心臓の音は、そう簡単には収まってくれなかった。
「ねぇ、リュカ」
ふいに名を呼ばれ、リュカはなんだろうと無言でその先を促した。
「あのさ、朝……なんか恐い夢とか見てた?」
問いに、ぎくりと身体が震えた。
「な、なんでですか?」
「いや、ちょっとうなされてたっぽいからさ」
「………………」
あの夢は、度々見てしまうものだ。
いつも訳が分からないまま真っ暗な中に引きずり込まれ、そして最後にこう言われるのだ。
『全部お前のせいだ』
今日はたまたまリンクの顔を叩いてしまったお陰で目が覚めたが、そうでなければまた――
ふいに服を掴むリュカの手に力がこもったのを感じ、リンクは少しだけ振り返り、リュカの様子を覗き見た。
自分の背に顔を押し付けたまま、リュカは何も言わなくなってしまった。
うなされていたということは、過去の事が元となっているのだろう。
リュカが経験した様々な事が、色々と彼を悩ませる原因になっているのは知っている。
けれども、どうやったらそれを拭う事が出来るのか、リンクはその答えをまだ出せていない。
いや、もしかしたら答えなんてないのかもしれない。
リュカが、辛かったとは言え自分が歩んだ道を忘れたりなんてするとは思えない。
リュカの悩みは、リュカが解決していくしかないのだろう。
ただ、その解決に少しでも力になることは出来ないだろうか。
いつもそこで考えが止まってしまうのだ。
リンクは時々思う。
自分がそばにいることは、リュカにとって力になれているだろうか、と。
(……って、なれてるかどうかじゃないだろ、俺!)
ふと暗い方に考えを向けてしまった自分に気付き、リンクは片手で自分の頬を軽く叩いた。
目が離せないと分かった時、リュカに対しての想いを自覚した時、自分は何を思っただろうか。
少しでもリュカに笑っていて欲しいと願ったハズだ。
答えなんて出なくても良い。
自分が出来うることをしようと、そう決めたではないか。
「今度はさ、俺を呼んでよ」
唐突な言葉に、リュカはなんだろうと背中から顔を放してリンクを見上げた。
「怖い夢見たらさ、俺を呼びなよ。夢でもどこでもすぐに助けに行くから」
その不思議そうな視線を横目で見つめ返し、リンクは続ける。
「リュカは一人じゃないよ」
―― 一人じゃない。
思いもしなかった言葉に、リュカは大きく目を見開いた。
おそらくリンクは、自分がうなされる原因をなんとなく知っているだろう。
それは自分の過去の問題であり、自分でしか片付けられない事だろう。
でも、それに挫けそうにならないほど強くもなれなくて。
そんな自分が嫌で、でもどうすればいいかも分からなくて――
「リンクさんが助けに?」
頼っても、いいのだろうか。
「あぁ、行く」
「……来て、くれる?」
「あぁ、どこにでも!」
優しくて、そしてとても力強い言葉。
「リンクさん……」
小さな小さな声で名前を呟くと同時に、ふっと目頭が熱くなった。
思わず目を閉じたリュカの瞼の縁から、涙が一つ、二つと溢れて頬を伝い落ちる。
零れた雫は風に煽られて流され、地に落ちることなく四散して消えていく。
「……ちょっとカッコつけ過ぎかな?」
「そんなこと、ないですっ」
照れ隠しで言うリンクに首をぶんぶんと横に降り、リュカはその背に顔を埋めて呟いた。
「リンクさん、ありがとうございます……」
風を切って走るエポナの背に揺られながら、リュカは頬を流れていた涙を拭った。
誰かがいるということが、こんなにも力をくれる。
リンクの暖かくも大きな背に頬を寄せながら、リュカは彼がくれた言葉を胸に深く刻み込んでいた。
それが苦痛を和らげてくれるのは、きっと大好きな人がくれたものだからこそ――
――リュカは一人じゃないよ。
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ちょっとしたヨタ話。
7000HITで某様に謙譲しました、リンリュカです。某様仕様なので、当サイトのドクールリンクとはちょっと雰囲気違います。
リンリュカの良いとこは、リンクがしっかりと言葉でリュカを励ましてくれることじゃないかなって思うんです。
お兄さんらしい雰囲気しつつ、しっかりと支えられそうなリンクとか萌えますね。
しっかりしなきゃと思いつつ、それにすごく救われてるリュカに萌えますね。
萌えるのは自由なのでやりたい放題です(笑)
騎乗はリンクが馬に乗れる強みを全面に押し出したかったからです。
馬に乗れるキャラってすごいカッコいいと思うんですがどうですかね??
例に漏れずリンクもカッコいいし、萌える萌える(´∀`)
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