【 U-H 】

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固い肉を食べているわけでもなく、飴を砕いているわけでもなく、ガムを含んでいるわけでもない。
それなのにキミの口はやたらと何かを噛んでいる。
ほぼ空になったグラスから伸びている細いそれを咥えたまま、キミは暇を持て余しているようだ。
それもそうかもしれない。
キミがいつも一緒になって遊んでいるリュカくんやリンクくんも、今はちょっとした用事でハルバードにはいない。
暇を持て余して僕のところに来たのは良いけれど、僕にだって実はやることがあってかまえなくて。
申し訳ないなと思いつつも、こちらにもこちらの事情があるということで仕事を優先させてもらっている。
こんな紙の山が無ければ、キミとすぐにでも遊んであげるんだけれどね。

「ネス、つまらないかい?」

サインを入れ終わった紙を横に除け、次の用紙へと目を通しながら僕は聞いた。
その言葉をどう受け取ったかは不明だが、キミは「ん〜」と答えるだけである。
キミの口は、相変わらずそれを噛みっぱなしだ。

「ごめんね、もうすぐ終わる」
「ううん、別にマルス兄ちゃんが悪いわけじゃないもん」

さらっとそんな返事を返すという事は、どうやら機嫌は悪くないらしい。
それが分かった事に安心し、僕は机の上の紙にペンを走らせる。
空になったグラスをいじっているのだろうか、キミがいる目の前から「カラカラ」と氷のぶつかり合う音が響く。

「何か飲みたければ飲んで良いよ?」
「ありがとう、平気」

一瞬それから口を放して答え、そしてまたすぐにそれを噛み始める。
えっとなんだっけな、このクセは。
以前に別の誰かがキミと同じような事をしてて、そして誰かに何か言われていたはずだ。

「えっと……なんだっけ」
「何?」

これで最後の書類だ。
机の上の、残り一枚の紙に書かれた文字を目で追いながら、僕は別のことを考える。
なんだっけ、このクセ。
このクセの心理状態を聞いて「面白いなぁ」と思ったのは覚えてる。

「えぇっと……んー……」
「だから何?」

最後の書類にサインをし、横の終わった紙の山に追加して。
僕はそうだ、と思い出した。

「欲求不満」
「はい?」

独り言をブツブツ言っていた僕の最後の言葉に、キミはいよいよ怪訝そうな表情を見せる。

「いや、確かスネークさんがそんな事言ってたなぁって思い出してね」
「……マルス兄ちゃん、何の話?」

首をかしげるキミに視線を合わせ、僕は「ん」とそれを指差した。

「ストロー。ずいぶん噛んでるなぁって」

言われてやっと自覚したのだろうか、僕の指の先を物見てキミは「あぁ」とぼやく。

「これのことだったんだ」
「うん。気になってね」
「ママにも言われたことあるかも。なんだか暇だと噛んじゃうみたい」

そう呟いて、すっかり形の変わってしまったストローを指で弾くキミ。

「やめなさいって言われるんだけど……」
「それはそうかもね」

傍目から見ても、あまり良いクセとは思えないだろうし。
そう思ってる合間にも、おそらく「なんとなく」なのだろう。
キミは自然な流れでストローを口に含んでしまっている。
さすがに噛んではいないようだけれど、どうにも暇そうだ。
まぁ今の今までほったらかしにしてしまっていたのだから、しょうがないのかもしれない。

「ネース」
「ん?」

僕は名を呼んで席を立ち上がり、ストローを咥えたまま返事をするキミの傍に歩み寄って頬に手を添えて。
一瞬訝しげな表情になったキミに微笑みかけ、頬に添えていた手を滑らせて指で顎をツイと上に向かせる。

「あ……」

その僅かな動きで口から零れたストローに気を取られるキミ。
隙が出来た、と内心でほくそ笑む嫌な自分を自覚しながらも、好きなのだから仕方がないと割り切り唇を重ね合わせる。
驚きで見開かれたキミの目を見つめると、恥ずかしいのだろうね、一気に顔が赤く染まっていく。
逃げようともがきそうな気配を感じ、そうはさせないと小さな頬を両手で押さえつける。

「んっ……」

閉じられた瞳と漏れた吐息が艶かしい。
自制が効かなくなるほど昂ぶる前にと、啄ばむようなキスを繰り返してからキミを解放した。
まだ明るいし、キミはそういう方へ気持ちを無理やり流すと酷く機嫌を損ねるから、今日はここまでにしておこう。
フッと微笑みかけると、ベチっと手のひらが鼻の辺りを叩いてくる。
けっこう痛いんだよね、そこ。

「ネス……」
「兄ちゃんが悪いッ!」

痛いという風に言うと、あっさりとそう切り返されてしまった。
酷いな、好きな人に触れたいと思って、ただそれを実行しただけなのに。

「まったくもう。一緒にいると心も身体も休められないや」
「それはどういう意味だい?」
「そのまんまです! マルス兄ちゃんが一番良くわかってるんじゃないの?」
「んー? 僕にはよくわからないなぁ。だからネス、教えてよ」
「こッのぉ……マルス兄ちゃんのバカッ!」

ちょっとだけとからかってみたら、案の定というかご機嫌を斜めにしてしまったようで。
テーブルの上に置かれていたグラスをもぎ取るように掴み、キミは身体を横に向けてそのままそっぽを向いてしまった。
グラスの中身は何も入っていないけれど、居心地の悪さだろうか、再びストローを口に咥えてしまっている。

「ネース?」
「………………」
「ねぇ、ネスってば」
「………………」

ノーコメントだ。
これはまずいな、本当に機嫌を悪くしている。

「ネス、ごめんね」
「…………」
「僕が悪かった。ちょっと調子のった」
「……別に。もう、いいよ」

しぶしぶだけれど、横目でこちらをチラリと見上げてそう呟くキミ。
すぐむくれたりするキミは、そんな自分を「子供っぽい」と案外気にしていたりする。
だから機嫌はすぐには直らなくても、大抵はこうやって許してくれる。
それを分かっている僕はけっこうずるいかもしれない。
ありがとうのつもりで帽子を外して黒髪をくしゃくしゃとなで上げると、キミはいきなりの事に一瞬だけムッとしたように眉間にシワを寄せたけど、すぐにしょうがないという雰囲気で苦笑する。
僕はそんなキミにとても甘えている。
僕よりも幾分も幼いのに、それでもキミは僕よりもずっと綺麗で純粋で。

――ネスー!!

突然、ドアの向こうから聞こえた呼び声。

「あ、リュカとリンクだ」
「お帰りみたいだね」

呼びかけに嬉しそうな笑顔を見せるキミに、僕は少しだけあの少年二人に嫉妬する。
キミ達三人の世界には、どうやっても僕は入り込めないから。
そこだけちょっと悔しい。
でも、あの二人はキミにとってとても大事な友人だから。

「ネス、行っておいで」

取ってしまった帽子を被せながら僕はそう告げる。
「いいの?」と少し驚いた様子で見上げてくる黒い瞳を見つめ、ゆっくりと頷く。

「この書類を届けた後、色々話さなきゃいけないからね。時間かかっちゃうんだ」

これも人の上に立つ人間の宿命とでも言うべきだろうか。
自分の立場を嘆いた事が無い――と言えばウソだけど。
でも、今の状況を投げ出そうと思っていないのは事実だから。

「もうちょっと仕事しなきゃいけなくて。だから行っておいで」

そうこうしている間に、キミの名を呼ぶ声がどんどん大きくなっていく。
この部屋の扉が開かれるのも時間の問題だろう。

「そっか……」

嬉しい事に、少しだけ寂しそうに笑ってキミは立ち上がった。

「……あのさ、夜なら暇?」
「ん? そうだね、別に予定はないけど」
「じゃあ、遊びに来てもいい?」

照れ隠しだろう、目元が帽子で隠れるように顔をうつむかせ、キミは言う。
思いもよらぬ申し出、断る理由などあるわけがない。

「もちろん。何か甘いものでも用意しておこうか?」
「ホント?」

嬉しそうに顔を上げたキミに微笑みかけ、僕はこくりと頷いた。

「何か美味しいもの、探しておくよ」
「やった! ありがとう、マルス兄ちゃん」

「じゃあ行くね」と、キミは言って背を向けてドアを開ける。

「あ、ネスいたー!」

開かれたドアの先、駆け寄ってくる二人に向かって手を振りながらキミは部屋を後にする。
少しだけ寂しいなとその後姿を見送っていると、ふいにキミがこちらを振り返った。

「またあとねで!」

そう言ってドアが閉まる直前、笑顔で手を振ってくれたキミ。
思わぬ不意打ちに、僕は言葉を返すでもなく頷くしかできなくて。

「……まいったな」

さっきまではいなくなるのがすごく寂しかったのに。
この後会う約束があると思うと嬉しくてたまらない自分がいる。
現金だ。
けれども正直な気持ちだから仕方が無い。
キミが残していったグラスを片付けようとそれを手にし、ふいに噛まれたストローが目に付いた。

「そう言えば……」

確か『欲求不満』以外にも言われた心理状態があったような気がする。
なんだっただろうか。
なんとなく、キミの口の中で無残な姿になってしまったストローを噛んでみた。
元々静かだったが、人の気配の無くなった室内はやはり寂しさを強く感じさせてくれる。
はぁと誰に当てつけるでもないため息を吐き、ふと思い出した。
噛みクセに込められた、『欲求不満』以外の意味合い。

『夜なら暇?』
『うん、別に予定はないけど……』
『じゃあ、遊びに来てもいい?』

あの子から部屋に来たいと言われる事は、決して多くない事だ。
ストローを口から離して思い出す。
仕事をしていたとは言え、僕はかなりの間あの子をほったらかしにしてしまっていた。
それはどうしようもない事だから、わがままも言われなかった。
そこで気付けば良かったのだ。

「“寂しい”って、思ってたのかな……」

呟くと同時に、別れ際のドアの先で笑顔を見せてくれたキミの姿を思い浮かべる。

『またあとでね!』

もしかして、僕と同じように約束を『嬉しい』と思ってくれたのかな。
自分の想像だけれども、それが真実だとしたらすごく嬉しいことではないだろうか。

「……さて、僕もさっさとやること終わらせよう」

夜まではまだ長い。
けれども、仕事に没頭していればその時間はすぐにやってくるだろう。
キミと触れ合うのは、それからでも遅くはないのだから。
噛まれたストローをグラスから抜き取り、僕は思案する。
こんなクセが出ることが無いようキミを満足させるには、どうやって一緒の時間を過ごせばいいのだろうか。


「そうだ、アリティアから美味しいお菓子でも調達してこようかな」


悩める時間さえ楽しみに変わってしまうのは、きっとキミのおかげ。









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ちょっとしたヨタ話。
タイトルは「Unconscious Habit」の頭文字取っただけです。なかなか思いつかなくて無難なのに……orz
身も蓋もない意味です。まんまというか……
正直言えば、ストローを噛むネスサンの話を書きたいという漠然とした萌えだけで書きました。
ネスサンはこんなことしそうだなーって。強いのに子供っぽい。アンバランスなのがネスサンかなって。
B'zの「スイマーよ2001」の方の歌を聞いて思いついたりもしました。
「ストロー噛むなら僕のを噛んで」がとてつもない響きに聞こえてしかたありません。
マルネスのマルスは『こんな心理状態になってもいんでない?』ぐらいに直球王子だと思ってます、私は。
「スイマーよ」だとこの部分が少々違うらしいです。なので「スイマーよ2001」の方が好きです(笑)




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